【島根県】「縁結び」の聖地「出雲大社」

【島根県】
「縁結び」の聖地
「出雲大社」





「出雲大社」は、
その歴史は、国の創世記から始まり、
長い歴史を持つ神社の一つ。


毎年「神無月(10月)」には、
「800万」の「神々」が、全国から「出雲大社」に集まると言われており、
「出雲大社」の周辺では、「10月」は、
「神無月」ではなく、「神在月」と言われている。


神々が終結することから、
「縁結び」の御利益があると信仰されるようになり、
「男女」の縁でなく、あらゆる「良縁」が結ばれる「縁結び」としても知られ、
日本全国から参拝者が訪れる。



詳しくは、
下記をご参照ください。



「出雲大社」は「愛犬同伴OK」

「出雲大社」は、ありがたいことに「愛犬同伴OK」です。
というより「愛犬同伴NG」ではない。

公式Webでは、

神社の境内は、神様をお祀り申し上げ祭祀が執り行われる神域であるとともに、ご参拝の皆さまに清々しくお参りいただく聖地です。
飼い主の方の責任のもと、他の参拝者にご迷惑をお掛けすることがないよう、十分に留意してご参拝下さい。
尚、瑞垣内、御祈願のおまつりを奉仕します拝殿・神楽殿や、宝物殿などの建物内へのペット同伴での参入はお断りいたしています。

という案内がありました。


境内では、場所を選んで、
できるだけ、「キャリーバッグ」「スリング」などに入れて、参拝するようにしましょう。
マナーを守って、いつまでも愛犬と一緒に参拝できることを継続してもらえるようにしたいものです。



比較的、愛犬を下して、歩かせることができる広い場所がありました。
参拝前に、散歩をさせて、境内では、「キャリーバッグ」に入れておく方法が良いと思いました。


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「出雲大社」とは



「出雲大社」は、
島根県出雲市にあり、日本一の「縁結び」の聖地として知られる「出雲国一之宮」の神社。
「縁結びの神」「福の神」を祀り、
年に一度、神無月(10月)に全国の神様が集まる場所としても知られる
由緒ある神社。
参拝する際は、「二拝 四拍手 一拝」の作法で拝礼する珍しい神社。

明治維新に伴う「近代社格制度」下では、
唯一「大社」を名乗る神社でもありました。

「出雲大社」に改称されてのは、1871年(明治4年)で、
それまでは、「古代」より「杵築大社(きずきたいしゃ、きずきのおおやしろ)」と呼ばれていた。

「古文書」ごとに、「出雲大社」の「社名」は異なっていたようです。
社名古文書
天日隅宮日本書紀
杵築宮釈日本記
出雲宮八雲御抄
厳神之宮日本書紀
出雲大神宮日本書紀
杵築大神宮和漢三才図会
所造天下大神宮出雲国風土記
大社杵築大神宮国花万葉記
杵築大社延喜式
出雲国大社享保集成総論
日本大社(真言宗正林寺蔵版木
天日栖宮出雲国風土記
出雲石(石同)之曽宮古事記




御祭神は、
「縁結びの神様」「因幡のしろうさぎ神話」で有名な「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」。


「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」は、
幾多の困難を越えて、国土を開拓された「国造り」の神様で、
作った国土を「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」に譲ったとする
「国譲り神話」でも、良く知られている。


「出雲大社」は、
「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」が「国譲り」をしたことで、
「古事記」によると、
出雲の「多芸志(たぎし)の浜」に「天之御舎(あめのみあらか)」を
「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」のお住まいとして造営されました。
その後、「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」が神となり、
「出雲大社」で祀られている。

創建は、その時期になるので、かなりの歴史がある神社。



「大国主大神」は、「スセリヒメ神」と、
数々の試練を克服し、愛を育み、夫婦となり、
永遠のご縁を結ばれたことから、
「縁結び」の神様と呼ばれるようになりました。


「出雲大社」の「縁結び」は、
「男女の縁」だけでなく、
人々を取り巻く、あらゆる「ご縁」を結ぶものと考えられ、
「男女」「友人」「ビジネス」などあらゆる「良縁」が結ばれるそうです。

「出雲大社」には、
「神在月(神無月) 10月」(神在祭 旧暦10月11日 - 17日)には、
全国から「八百万」の神々が集まり、神議が行われると言われています。
多くの神々が集まり、神々との出会いがあることからも、
全国的に信仰されるようになり、
「縁結び」の聖地と言われています。

全国から、あらゆる「良縁」を求めて、
多くの人が色々な「良縁」を求めて、
「出雲大社」を訪れているようです。


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「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」とは



「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」は、
神様となる前に、奥さんの父親などから、厳しい試練を与えられ、
乗り越えていくうちに、あらゆる「知識」「肉体」「精神」などを身に付け、
その体得したものを使い、人々の暮らしを豊かにするべく、
「出雲国(現在の日本国土)」で、「国造り」を始めました。


国として栄え始めたころ、
神の「天照大御神」が、
地上は神の子孫が統治するという「天地降臨」を唱え、
派遣された「神」から、「大国主大神」へ、
国を譲ってほしいという「国譲り」の交渉を受け、
「神」に「国」を譲った。


「国譲り」により、
今の「出雲大社」となる「天日隅宮(あまのひすみのみや)」という神殿と、
神としての称号をもらい、「地上の神々」を統率することになったと言われています。


「大国主大神」は、
「農業」「商業」「漁業」「医療」など、
様々な分野で功績を残したことから、
他の神々にも認められ、
「大国を創造した大国の主である大神」という「大国主大神」の名前になったとされています。


一説では、「七福神」の「大黒様」と、
「大国主大神」は、同一の神様と言われることがあります。
同じ肩からの袋や、「商売繁盛」の神様と言われる所など、
共通点が多いことから、同一視されている用です。


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「出雲大社」の「しろうさぎ神話」とは



「出雲大社」の境内には、
たくさんの可愛いウサギの石像が点在しています。
「出雲大社」の「しろうさぎ神話」にちなんでおり、
1つ1つ異なる「ポーズ」「表情」で、
多くの参拝者が写真を撮影している姿が見受けられます。



「出雲大社」の「しろうさぎ神話」は、
「大国主大神」と「八上姫(やかみひめ)」の仲を取り持った
という「神話」です。


「大国主大神」が、まだ地上の神々の長となる前、
いじわるな兄弟「八十神(やそがみ)」がいました。


ある日、「大国主大神」は、
「八十神」が「八上姫(やかみひめ)」に求婚する旅のお供で、
荷物持ちをして旅をしていた時、
皮を剥がされた「うさぎ」と出会いました。

「うさぎ」が皮を剥がされてしまった理由は、
「隠岐の島」に渡り語った泳げない「うさぎ」は、
海にいたたくさんの「ワニザメ」をだまし、

「数を数えてあげるから、島まで並んで」

と伝えましたが、
だまされたことに怒った「ワニザメ」に、
「うさぎ」の毛皮を嚙みちぎられたそうです。



先に進んでいた意地の悪い「八十神」たちとも出会っていた「うさぎ」は、

「傷を早く治すには、海に浸かり、風にあてて、山で寝ていれば治る」

と嘘の助言をされていました。
信じた「うさぎ」は言われた通りに行い、
ケガが治るように努力をしたそうです。



「うさぎ」が「大国主大神」と出会ったときには、
ケガが悪化し、更に痛みが激しく、泣いていたそうです。
痛がる「うさぎ」を見つけた「大国主大神」は、
状況を聞き、理解すると、

「すぐに、川の綺麗な水で身体を粗い、「ガマの穂」を敷いて寝ていなさい。」

と助言したそうです。
「ガマの穂」には、傷薬としての効果があるそうで、
「うさぎ」は、助言通りに生活すると、
たちまち傷が良くなったそうです。

「うさぎ」は、
「大国主大神」に感謝し、
「八上姫(やかみひめ)」と結婚するのは、
「大国主大神」だと告げたそうです。



「八上姫(やかみひめ)」の下に到着してみると、
「八上姫」は、「うさぎ」が予言した通りに、
「大国主大神」と結婚すると告げたそうです。

激しい怒りを持った「八十神」は、
「大国主大神」に対して、いじわるをし、
2度も「大国主大神」を殺してしまったそうですが、
その都度、「母親」と「高天原の神々」により、生き返らせえてもらえたそうです。



「大国主大神」は、
その後も「八十神」からの意地悪という試練を乗り越える旅に、
「心身」共に実力を付け、
最終的には、豊かな国を作り上げた地上の国の主「大国主」となり、
「国譲り」をするほどの、豊な国を作り上げました。


「出雲大社」を頂くことになったエピソードの一つとして、
「しろうさぎ神話」があるとのことです。


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「出雲大社」の参拝順序



「出雲大社」の参拝順序は、

・「稲佐の浜」
・「一の鳥居 大鳥居 :石」(「神門通り」入り口)
・「勢溜(せいだまり)」(出雲大社の境内 玄関口)
・「二の鳥居 :鋼」「別名:勢溜の鳥居」(「神門通り」終点 = 出雲大社の境内 入り口)
・「祓社(はらえのやしろ)」
・「下り参道」
・「祓端(はらえのはし)」
・「三の鳥居 :鉄」
・「松の参道」
・「ムスビの御神像」
・「手水舎」
・「四の鳥居(銅鳥居):銅」
・「拝殿」
・「八足門」「楼門」「総本殿」
・「東十九社」
・「総本殿」の背面
・「素鵞社(そがのやしろ)」
・「本殿西側の遥拝場」
・「西十九社」
・「神楽殿」

の順で参拝するのが理想のようです。
まず「御本殿」を参拝してから、
周りの「社」を参拝するのが良いようです。



「出雲大社」の鳥居は、
「石」「鋼」「鉄」「銅」で作られた4つの鳥居がある。
・「一の鳥居」=「石」
・「二の鳥居」=「鋼」1968年(昭和43)に木製だった鳥居を「鋼製」に作り変え。
・「三の鳥居」=「鉄」
・「四の鳥居」=「銅」


「鳥居」や「しめ縄」は、
「神域」への入り口を示すもので、
私たち人間が住む「俗界」との境界線を示す、区切りとされています。


「神門通り」入り口に立つ
白い「石」の素材でできている「一の鳥居」である「大鳥居」をくぐり、
「出雲大社」の参道へと入ります。
「一の鳥居」の正面に付いている額「扁額(へんがく)」は、 「畳6畳分」ものあり、日本最大級の大きさです。



お店や飲食店などが建ち並ぶ「神門通り」を抜けた突き当りには、
「鋼」でできた「二の鳥居」=「勢溜の鳥居」があり、
鳥居の前には、「勢溜(せいだまり)」という、
人々が賑やかに集まる場所という意味のスペースがある。
1968年(昭和43)に、木製だった「二の鳥居」を「鋼製」に作り変えた。


「二の鳥居」を抜け、境内に入ると、
「下り参道」のすぐ右側に、
「祓社(はらえのやしろ)」という小さな「祠(ほこら)」がある。

「神前」に向かう前に、
必ず「祓社(はらえのやしろ)」で参拝をすることで、
日頃、知らぬ間に着いた「心身のけがれ」を祓い清めます。


「下り参道」を下り終わると、
「祓端(はらえのはし)」という短い「橋」を渡ります。


「三の鳥居」をくぐり、「松の参道」を根けて、
「手水舎」「四の鳥居(銅鳥居):銅」の前に着きます。
「ムスビの御神像」という、
「大国主神」の前に「幸魂(さきみたま)」「奇魂(くしみたま)」という「魂」が現れて、
その魂を「大国主神」が受け取る場面を表現している大きな像があります。
「ムスビの大神」とは、「大国主大神」の別名。
1986年(昭和61年)に寄贈されたらしい。



「四の鳥居(銅鳥居):銅」をくぐるとすぐに「拝殿」前に出ます。
「拝殿」で参拝し奥に進むと、
「八足門」「楼門」「総本殿」の前に出ます。

「八足門」より奥には、特別な期間以外には入れないので、
「八足門」前で、御祭神「大国主大神」への御参拝をします。


参拝後は、
「御本殿」を正面にして、右手に進むと、
神々が集まった時に、宿となる「東十九社」があります。
10月の「神在月」には、神々が勢ぞろいしているので、
かなりの数の参拝者が訪れるそうです。


「総本殿」の背面からは、
「御本殿」を間近に感じることができます。
多くの人が、「御本殿」を参拝しています。


「素鵞社(そがのやしろ)」は、
「大国主大神」の親神であり、
「ヤマタノオロチ退治」で有名な「スサノオノミコト」をお祀りする社。

「出雲大社」を見守る山「八雲山」に面している「社」で、
「八雲山」は、「禁足地」となっていて、入山を禁じられているため、
聖なる山「八雲山」に触れられる唯一の場所。
岩肌に触れると不思議な力を感じられるそうです。

社の裏には、「素鵞社」で清められた「御砂」が置いてあり、
「稲佐の浜」から持ってきた砂と交換できるようになっています。


「御本殿」の西側には、
「本殿西側の遥拝場」があります。
小さな遥拝場ですが、
「御本殿」の中にある「御神体」は、
「西」に向いているので、
「御神体」を正面から参拝できる貴重なスポットとして知られています。
知る人によると、一番のパワースポットだとか。


「西十九社」は、
「東十九社」と同じく、神々のお宿となる社が並んでいます。
「10月(神在月)」には、多くの参拝者が訪れます。


「西十九社」から「御本殿」の反対側に進むと、
「神楽殿」があります。
ここにある「大しめ縄」が、日本最大級の「大しめ縄」で、
「出雲大社」を象徴する存在となっています。


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「手水舎」の作法



参拝の前には、
「手水舎(てみずや)」で、「手」と「口」を清めます。


「手水舎」での作法は、下記のように行います。

・「右手」で「ひしゃく」を取り、「水」をすくう。
・「左手」を流し清める。
・「左手」に、「ひしゃく」を持ち替え、「右手」を流し清める。
・「ひしゃく」を再度「右手」に持ち変え、「左手」に水を注ぎ貯め、「口」をすすぐ。
・もう一度「左手」を流し清める。
・最後に「ひしゃく」を立て、「柄」の部分を流し清める。
・「ひしゃく」を下に戻す。


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「出雲大社」の参拝作法



「出雲大社」の参拝方法は、
一般的な神社の「二礼 二拍手 一礼」とは異なり、
「二礼 四拍手 一礼」となっている。

・身なりを整える。
・神前に立ち、背筋を伸ばす。
・腰を「90度」にまげて、「2回」深く「拝礼」をする。
・手の平を胸の前で合わせてから、右手を少し下げてずらす。
・肩幅ほどに手のひらを広げて、「拍手」を「4回」打つ。
・手のひらを合わせて、指先を揃える。
・心の中で、「感謝」「願い事」を唱える。
・最後に「拝礼」を一度する。

という動作が、参拝の作法と言われています。
一般的な神社の「二礼 二拍手 一礼」でも、同じように行います。


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「出雲大社」のおみくじに「吉凶」はない


「出雲大社」のおみくじには、
「大吉」「中吉」「小吉」「吉」「凶」「大凶」などの「吉凶」の表示はありません。
ですが、
その人に必要な「言葉」「心構え」「戒め」などが書かれていて、
より良い運勢に恵まれるように、その人自身に役立つことが記されています。

「吉凶」の表示はないですが、
前向きになれるような「おみくじ」で、
自然と気分が晴れやかになる気がします。


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八百万の神々をお迎えする「神迎祭」



「出雲大社」では、
「10月」の「神無月」に、
全国の神々が集まると言われています。
故に、「出雲大社」の周辺では、
「10月」は「神無月」ではなく「神在月」と言われています。


「出雲大社」も、祭事を開き、
全国の800万の神々を歓迎する「神在祭」が開かれます。
「神在祭」は、「歓迎祭」から始まり、「神等去出祭(からさでさい)」までの祭事を意味しています。
毎年、この時期には、多くの参拝客で、
「出雲大社」は多いに賑わいます。


「歓迎祭」では、
「稲佐の浜」から訪れる神々を出迎えるため、
海岸線には、多くの人々が集まり、
歓迎の儀式を行うそうです。


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「本殿西側の遥拝場」は、御本殿内の「御神座」の正面



「御本殿」の「西側」、
「御本殿」を正面に見たら、
左側の通路の「御本殿」の真横にある「遥拝場」は、
「御本殿」内にある「御神座」の正面になります。

御祭神「大国主大神」の正面から参拝できるので、
こちらでも参拝する習慣が根付いたと言われています。


「御本殿」の内部は、
中央に「心御柱(しんのみはしら)」という「太柱」があり、
「心御柱」を中心に「時計回り」に回って「御神座」に至る独特な構造になっているそうです。
そして、「御本殿」内の「御神座」は、「正面」ではなく「西」を向いているとのこと。


「本殿西側の遥拝場」は、隠れた貴重スポットとして、
知られるようになリマした。


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「十九社(じゅうくしゃ)」は、全国から集う神々のお宿



「御本殿」の両側には、通路があり、
その外側に、「御本殿」を中心に、長い「お社」があります。

毎年、「旧暦10月」の「神無月」の時期になると、
全国の神々が、「出雲大社」に集まって来ます。
「出雲大社」周辺では、「10月」を、
「神無月」ではなく「神在月」と読んでいます。

「十九社(じゅうくしゃ)」は、
その時の「神々のお宿」となる「お社」です。


「10月」の「神在月」には、
「十九社(じゅうくしゃ)」の前は、
参拝者で行列ができます。


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日本最大級「大しめ縄」があるのは、「神楽殿(かぐらでん)」



「出雲大社」というと、日本最大級の大きな「しめ縄」が思いつきますが、
あの「大しめ縄」は、
「御本殿」ではなく、「神楽殿(かぐらでん)」の「大しめ縄」です。

最初に訪れた時に、
「御本殿」に「大しめ縄」がなかったので、
「違和感」を勝手に感じたのを覚えています。

「御本殿」までの参道の途中にあるわけではなく、
「御本殿」を正面にして、
「左」の方に歩いて行くと、「神楽殿」があります。
「結婚式」などで使用される「神殿」として使用されています。


「神楽殿」正面の「大しめ縄」は、
「長さ:約13m」「重さ:5.2t」の、日本最大級の大きさ。

「出雲大社」では、古くから向かって、 「左方」を「上位」
「右方」を「下位」
とする慣習があり、
「しめ縄」のかけ方が、一般的な神社と逆になっていること特徴もある。


日本最大級の「大しめ縄」は、
「島根県飯南町」で、「1年以上」の歳月と、
「1000人」以上の「町民」の手によって作られているとのこと。


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「出雲大社」へのアクセス




「出雲大社」には、
大きな駐車場がありますが、
参拝者の数に比べると、多くない気もします。
出入りが多いので、
待っていれば、すぐに空きそうです。


東京からは、
寝台列車「サンライズ出雲」が、「東京駅」から出ている。
約12時間かけて、東京から岡山県「出雲市駅」に到着します。
その後、「電鉄出雲市駅」~「出雲大社前駅」へ約30分ほどで到着するそうです。

「寝台列車」の良い点は、
寝ていれば、到着が凄く速く感じることと、
睡眠がしっかりとれるので、
観光に体力を使える点。


東京からは、
新幹線を利用しても、8時間ぐらいかかり、
車・深夜バスでも、12時間ぐらいはかかります。
飛行機だと、4〜5時間ぐらい。

飛行機が1番楽に「出雲大社」まで行けます。


費用は、全て、2万円から3万円ほど。
深夜高速バスだと、格安で1万円ぐらいで行けることもあります。


1番伸び伸びと行けるのは、
寝台列車「サンライズ出雲」だそうです。
プライベートな空間も確保できて、
ベッドがあるのは、「寝台列車」のみ。

平らな場所で寝れるのは、
身体の疲れが取れて、とても良いです。



「東京」から「車」で、「出雲大社」へ行ってみました。


「東京」を14時ぐらいに出発して、「名古屋」で食事をし、
「SA・PA」で休憩・仮眠をしながら、
早朝6時ぐらいに、「島根県出雲市」に到着。


前評判では、かなりの「過酷さ」と言われていましたが、
実際に、夜通し「車」で走っていきました。


感想は、「過酷」です。
「睡魔」との戦いが待っています。
運転手「一人」では、かなりの「眠気」と戦うことになります。
「日帰り」は、事故をしに行くようなもの。

「出雲大社」へは、計画に余裕を持って、
現地で宿泊することをおすすめします。



運転中の眠気覚ましに飲んだ「エナジードリンク」は、片道4本。
気持ち悪くなるし、眠気には勝てなくなってくるし、
最悪のコンディションで、現地に着きました。

少し仮眠を取ると回復しましたが、
夜中の走行は、危険だ。


帰り道は、更なる「地獄」。
眠気を通り過ぎて、意識が喪失してしまう。
トンネルに入った時に、暗くなるのと一緒に意識も持っていかれます。
宿までの道は、本当に危険。。。。。
ご注意ください。


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