「1052年」に創建された「平等院」。
「京都府宇治市宇治蓮華」にある単立の「寺院」。
「10円硬貨」に刻印されている「平等院鳳凰堂」でも知られている。
「山号」は、「朝日山」。
「本尊」は、「阿弥陀如来」。
「開基」は、「藤原頼通」。
「開山」は、「明尊」。
「宗派」は、現在は特定の宗派に属していないが、
「17世紀」以来「天台宗」と「浄土宗」を兼ねていた。
「塔頭」は、
「本山修験宗聖護院末寺」の「最勝院」と
「浄土宗」の「浄土院」が、
年交代制で共同管理しているとのこと。
「国宝」に指定されている「鳳凰堂」は、
世界的にも広く知られており、
「1994年(平成6年)」には、
ユネスコ世界遺産「古都京都の文化財」の
構成資産の一つとして登録された。
「京都市」の「南」に位置する「宇治市」は、
「源氏物語」の中の「宇治十帖」の舞台になった地、
「平安時代初期」から貴族の別荘が建設されていた。
現在の「平等院」の地は、
「9世紀末」頃には、
嵯峨源氏の左大臣源融が営んだ「別荘」だった。
その別荘が「陽成天皇」「宇多天皇」へ渡り、
「朱雀天皇」の時に、離宮「宇治院」となり、
「宇多天皇」の孫「源重信」を経て、
「998年(長徳4年)」に、摂政「藤原道長」の別荘「宇治殿」となったとのこと。
「宇治殿」が「寺院」となったのは、
「藤原道長」が「1027年(万寿4年)」に亡くなった後、
道長の子である関白「藤原頼通」が、
「1052年(永承7年)」に「宇治殿」を「寺院」に改め開山し、
「平等院」という名称となった。
京都岡崎(現・京都市左京区岡崎)の「平等院」があったが、
そこの住持「明尊大僧正」が、
「初代執印」となる「開山」となったので、
「平等院」の名称を譲り受けた。
京都岡崎(現・京都市左京区岡崎)の「平等院」は、
「円満院」と改名し、
江戸時代に入ってから現在地である
滋賀県大津市にある「園城寺」の東に移転したとのこと。
宇治の「平等院」は、「園城寺」の末寺として創建されており、
境内の西にあった「縣神社」を「鎮守社」とした。
「本堂(金堂)」は、元「宇治殿」の「寝殿」であり、
「仏堂」に改造された。
現在の
「鎌倉時代前期」に建立された「観音堂」が建っている場所にあり、
「大日如来像」を「本尊」としたとのこと。
「平等院鳳凰堂」は、
「平等院」となった「1052年(永承7年)」の翌年
「1053年(喜元年)」に、「阿弥陀堂(現・鳳凰堂)」として建立されていた。
西方極楽浄土をこの世に出現させたかのような建築は、
現在でも人々の目を惹きつけている。
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