「金閣寺」の正式名は、
「鹿苑寺(ろくおんじ)」の舎利殿「金閣」で、
「相国寺」の「塔頭寺院」の一つ。
山号は、「北山」なので、
正式には、「北山鹿苑禅寺(ほくざんろくおんぜんじ)」と号するそうです。
寺名は、開基(創設者)の室町幕府第3代将軍「足利義満」の法号「鹿苑院殿」に由来する。
簡単に言うと、
「相国寺」のお弟子さんが独立した寺院で、
グループ寺院の一つで、
「鹿苑寺」の舎利殿「金閣」が有名なので、
通称「金閣寺」で知られるようになっているそうです。
舎利殿「金閣」は、
建物の内外に金箔が張られており、
黄金に輝いていることから、
「金閣」という名称になったそうです。
「鹿苑寺(金閣寺)」は、
鎌倉時代には、「藤原公経(西園寺公経)」が建立した「西園寺」があった場所で、
室町幕府第3代将軍「足利義満」が、河内国の領地と引き換えに譲り受け、
「改築」「新築」を行い、一新したと言われています。
その間に、初代舎利殿も完成したと推定されています。
当時は、お寺ではなく、
「北山殿」または「北山第」と呼ばれる「邸宅」として利用されていたそうです。
「足利義満」の死後、
遺言により、
禅寺になり、現在の「鹿苑寺(ろくおんじ)」となりました。
舎利殿「金閣」は、室町時代前期の「北山文化」を代表する建築として貴重な存在でしたが、
1950年(昭和25年)に放火により焼失してしまいました。
現在の舎利殿「金閣」は、
1955年(昭和30年)に再建されたものです。
1994年(平成6年)には、
ユネスコの世界遺産(文化遺産)「古都京都の文化財」が登録され、
その構成資産の一つとして「鹿苑寺(金閣寺)」も登録されました。
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