Address : 〒602-0881 京都府京都市上京区京都御苑3
京都の「平安京」に遷都してから、
明治時代に、首都機能が「東京」に移行するまでの、
「1337年」から「1869年(明治2年)」までの間、
「1000年以上」の長い間、
京都に都がおかれていた都市。
「京都御所」は、
「京都」に都が置かれたいた時に、
「天皇家」の「居所」として使用されていた場所。
「京都御所」は、
現在、「京都府京都市上京区」にあり、
「皇室関連施設」として管理されている。
平安遷都がされた「794年(延暦13年)」の当時は、
「京都御所」の場所は、
現在の「京都御所」よりも、
「1.7km」ほど「西」にある「千本通り」沿いにあったと言われている。
現在の「京都御所」は、
もともと、
内裏が火災で焼失した場合などに設けられた臨時の内裏「里内裏」
として作られた建物「土御門東洞院殿」の場所。
「土御門東洞院殿」は、
「1337年(建武4年)」に、
北朝2代「光明天皇」が居住し始めてから、
「明治天皇」が、「東京奠都」に至るまでの
「約530年間」にわたって「内裏」として使用され続けた。
明治以降は「京都皇宮(きょうとこうぐう)」と呼ばれていた。
現在の「京都御所」は、
当時の「土御門東洞院内裏」ではなく、
江戸時代の幕末「1853年(嘉永7年)」に火災で焼失し、
「1855年(安政2年)」に、
「寛政度内裏」の様式をほぼ再建されたもの。
「安政度内裏」と呼ばれる。
そして、
再建された「土御門東洞院内裏」を基に、
「1866年(慶応2年)」に、
現在の「京都御所」がある場所に確定したとのこと。
明治時代になると、
大正時代にかけて、
「内侍所(賢所)」「対屋(女官宿舎)」などの建物が撤去され、
「1945年(昭和20年)」には、
「総建築面積の半数」近くが、
戦争の空襲による「焼失防止(類焼防止)」の為に、
多くの「建物」が解体された。
「京都御所」の敷地内には、
「京都大宮御所」「京都仙洞御所」があるが、
「京都大宮御所」は、「後水尾天皇」の中宮の東福門院のために造進されたのに始まり、
現在の建物は、
「英照皇太后(孝明天皇女御)」のために造営され、慶応3年(1867年)に完成した「建物」。
現在は、
「天皇」「皇后」の京都府への「行幸啓(旅行)」の際の「宿泊」や、
「国賓」の「宿泊」に使用されている。
「京都仙洞御所」は、
「後水尾上皇」の退位後の「居所」として建設されたもの、
現在は「庭園」「茶室」を残すのみ。
現在の「京都御所」は、
「京都御所」「京都大宮御所」「京都仙洞御所」は、
「国有財産」で、
宮内庁が管轄する「皇室用財産」に分類されている。
「建物」の周囲にある敷地「京都御苑」は、
「国民公園」として解放されており、
「環境省」が管理している。
京都市民からは、
「京都御所」「京都大宮御所」「京都仙洞御所」「京都御苑」も含めて、
「御所」(ごしょ)と呼ばれることが多い。
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