歴史上に出てくる「伏見城」は、
現在、現存しているお城はありません。
「伏見桃山城」は、
1964年(昭和34年)に、「伏見城」を模して鉄筋コンクリート製の「模擬天守」として建設され、
周囲には、「伏見桃山キャッスルランド」というテーマパークが作られ、人気となったそうです。
「伏見桃山キャッスルランド」は、2003年二閉鎖し、現在は、京都市が運営する「運動公園」として利用されている。
「模擬天守」は、
地元の人たちの要望で、現在も残っている。
現在の「伏見桃山城」は、歴史上の「伏見城」とは、
まったく関連性がない「模擬天守」となっています。
歴史上の「伏見城」は、
下記のような歴史となっています。
「伏見城」は、歴史上では、
3度建設されているそうです。
・1代目 伏見城「指月伏見城」 = 1596年(文禄5年)に完成して年に「慶長伏見地震」で倒壊
・2代目 伏見城「木幡伏見城」 = 1600年に戦により炎上・消失
・3代目 伏見城「木幡伏見城」 = 1619年(元和5年)「一国一城」の制により「廃城」が決定
という歴史的経緯があります。
最終的には、「廃城」されたことで、
他の場所に、移築されて残っている一部を見ることができます。
現存していれば、立派な城だったことが伺えます。
1代目 伏見城「指月伏見城」
1代目 伏見城「指月伏見城」は、
「豊臣秀吉」が最初に作った「伏見城」で、「初代伏見城」。
1596年(文禄5年)に完成したが、
その年の「慶長伏見地震」で倒壊してしまう。
跡地は、不明だったが、
建設工事により、「遺構」が発見され、
現在でも、「石垣」の一部が、マンション横に展示されている。
Address : 〒612-8034 京都府京都市伏見区桃山町泰長老126−27
2代目 伏見城「木幡伏見城」
2代目 伏見城「木幡伏見城」は、
初代伏見城「指月伏見城」が倒壊(1596年)した翌年(1597年)から、
「指月伏見城」の北西約1kmにある「木幡山」に、更に大規模な城として建設が開始された。
現在「木幡伏見城の本丸跡」は、「明治天皇 伏見桃山陵」となっている。
1598年に「豊臣秀吉」が亡くなった後、
「徳川家康」が城主となった。
1600年(慶長5年)「関ケ原の戦い」の前哨戦で、
「木幡伏見城」は、「徳川家康」と「西軍」の「戦場」となり、
「落城」してしまった結果、炎上・消失してしまった。
この際に、残った城の一部を
他のお寺などに寄贈・移築をした歴史があり、
「豊臣秀吉」公の正室「ねね」様の居宅となった「圓徳院」へも一部移築された経緯がここにあります。
3代目 伏見城「木幡伏見城」
3代目 伏見城「木幡伏見城」は、
1602年(慶長7年)に、「徳川家康」によって、同じ場所に再建された。
「徳川家康」は、朝廷からの「将軍宣下」を、「木幡伏見城」で受けたが、
1619年(元和5年)に、「一国一城」の制が下り、
3代目 伏見城「木幡伏見城」は、「廃城」が決定した。
3代目 伏見城「木幡伏見城」の建築物や石垣は、
色々な場所で転用され、
京都では、「御香宮神社」「豊国神社」「西本願寺の唐門」などに使用されたとのこと。
そして、「明治天皇」の「崩御」に伴い、「明治天皇 伏見桃山陵」となった。
Address : 〒612-0831 京都府京都市伏見区桃山町古城山
Address : 〒612-8039 京都府京都市伏見区御香宮門前町174
Address : 〒605-0825 京都府京都市東山区高台 寺下河原町530
Address : 〒605-0931 京都府京都市東山区茶屋町530
Address : 〒600-8501 京都府京都市下京区本願寺門前町 堀川通花屋町下る
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