「世界文化遺産【日光の社寺】」は、
1999年(平成11年)の12月2日に、
モロッコのマラケッシュで開催された「第23回世界遺産委員会」において、
世界遺産へと登録された。
「世界文化遺産【日光の社寺】」の内容は、
・ニ荒山神社
・東照宮
・輪王寺
・遺跡(文化的景観)
などの103棟(国宝9棟、重要文化財94棟)の「建造物群」に加え、
建造物群に残る「遺跡(文化的景観)」が登録された。
「日光の社寺」の成り立ち
「日光の社寺」として登録されている
・ニ荒山神社
・東照宮(江戸幕府初代将軍「徳川 家康」公の霊廟(お墓))
・輪王寺 大猷院(江戸幕府3代目将軍「徳川 家光」公の霊廟(お墓))
・輪王寺
は、
もともとは、
「奈良時代」に当たる
「782年(天王2年)」に、「勝道上人」によって開基された
「二荒山神社」に作られたもの。
江戸時代に入り、
徳川幕府 初代将軍「徳川家康」公の「霊廟(お墓)」である
「東照宮」が作られ、
その後、
徳川幕府3代目将軍「徳川家光」公の「霊廟(お墓)」である
「輪王寺 大猷院(だいゆういん)」が作られた。
明治時代に入り、
「明治時代」までの「神仏一体」の時代が終わり、
「明治新政府」により、
「慶応4年3月13日」から「明治元年10月18日」までに出された
「太政官布告」「神祇官事務局達」「太政官達」などの
一連の通達の総称「神仏判然令」に基づき、
全国的に公的に、「神仏分離」が行われ、
「二荒山神社」「輪王寺」に別れた。
この時に、
「徳川家康」を神格化し、
祀っていた「東照宮」は、「神社」となり、
「二荒山神社」「東照宮」が「神社」として登録され、
「輪王寺」「輪王寺 大猷院」が「仏」として「寺院」となった。
世界文化遺産【日光の社寺】の概要
世界遺産の名称:「日光の社寺」(Shrines and Temples of Nikko)
所在地:栃木県日光市
登録遺産の範囲:二社一寺(二荒山神社、東照宮、輪王寺)及び、これらの建造物群をとりまく遺跡など、国宝9棟、重要文化財94棟の計103棟の建造物群。
登録遺産の面積:50.8ヘクタール
緩衝地帯の面積:373.2ヘクタール
合計:424.0ヘクタール
世界遺産「日光の社寺」の構成資産
世界遺産「日光の社寺」の構成資産は、
二社一寺(二荒山神社、東照宮、輪王寺)及び、
これらの建造物群をとりまく遺跡など、国宝9棟、重要文化財94棟の計103棟の建造物群
です。
具体的には、
二社一寺
・日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)(別宮本宮神社、別宮滝尾神社を含む )
・日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)
・日光山輪王寺(にっこうさんりんのうじ)(大猷院霊廟を含む )
・遺跡(文化的景観)
世界遺産「日光の社寺」の構成資産【日光東照宮】
「東照宮」は、
江戸時代を築いた「徳川家康」公の霊廟として、
1617年(元和3年)に創建された。
現在の主要な社殿などは、1636年(寛永13年)に、
徳川家康公を尊敬していた、
徳川3代目将軍「徳川家光」公により設立されたもの。
「東照宮」が、当時の最高建築技術により建設されたことで、
日本の代表的な神社建築様式「権現造」が明確化され、
建築装飾の一時代を形成した。
「東照宮」の「本殿」「石の間」「拝殿」「陽明門」などの8棟が「国宝」に指定され、
その他に、34棟が「重要文化財」に指定されている。
・本殿・石の間及び拝殿
・東西透塀
・東西廻廊
・神厩
・石鳥居
・奥社宝塔(おくしゃほうとう)
・御旅所本殿(おたびしょほんでん)
・坂下門
・五重塔
・水屋
・陽明門
・正面及び背面唐門
世界遺産「日光の社寺」の構成資産【二荒山神社】
「二荒山神社」は、
日光の山岳信仰の中心であり、古くから崇拝されてきた神社。
日本で2番目に敷地面積の広い神社で、
二荒山神社は、本殿や神橋など23棟が重要文化財に指定されている。
・本殿
・拝殿
・神橋
・別宮滝尾神社本殿
・別宮本宮神社本殿
・神輿舎
世界遺産「日光の社寺」の構成資産【輪王寺】
「輪王寺」は、
日光山の中心寺院として発展してきたお寺で、
日光を開山した「勝道上人」が8世紀ごろに創建した「四本竜寺」が起源。
「輪王寺」は、「大猷院霊廟本殿・相の間・拝殿」が「国宝」になり、
その他の37棟が、「重要文化財」に指定されている。
・本堂(三仏堂)
・開山堂(かいざんどう)
・常行堂・法華堂
・三重塔
・大猷院霊廟本殿・相の間・拝殿
・大猷院霊廟唐門
・大猷院霊廟夜叉門
・大猷院霊廟皇嘉門
世界遺産「日光の社寺」の構成資産【遺跡(文化的景観)】
世界遺産に登録された「日光の社寺」構成資産の一つ
「遺跡(文化的景観)」は、
自然現象と人間の活動とがお互いに影響しあって形成された環境という新たに設けられた基準・概念。
「日光の社寺」の場合は、
・江戸時代における歴史的役割を果たした日光山内
・宗教的活動空間と一体をなす石垣、階段、参道など
・古代以来の日本的宗教空間を継承する山や森など
が「遺跡(文化的景観)」として登録されています。
江戸時代における歴史的役割を果たした日光山内
「日光の社寺」は、
江戸時代初期に徳川幕府の創立者である初代将軍「徳川家康」公の霊廟として、「東照宮」が造営され、現在の建造物群が形成。
その後、代々の将軍や、朝廷からの例幣使、朝鮮通信使などが訪れるなど、
江戸時代の政治体制において、極めて重要な歴史的役割を果たしていたという歴史的背景がありました。
その歴史的背景が、世界遺産の「遺跡(文化的景観)」として登録されています。
宗教的活動空間と一体をなす石垣、階段、参道など
「東照宮」と「大猷院霊廟」は、
山の地形を利用して造営されていて、石垣や階段によって境内を広く見せたり、狭く見せたりと表現されています。
参道に曲折をつけることで、奥行きのゆとりや緊張を見せるといった効果が作られています。
大切な建造物ほど、高いところに建てられたり、建造物を巧みに配置しており、威厳や風格を形成しています。
「東照宮」と「大猷院霊廟」の「地割」「石垣」「参道」等の造営は、
日本の「城郭建築」で培われた最高の建築技術が使われている。
「水道」「排水設備」なども最新の技術によって整備されているそうです。
古代以来の日本的宗教空間を継承する山や森など
「日光山」内の山林地域は、
8世紀に始まる日光の「山岳信仰」の聖域とされていました。
特定の山や森を「神格化」する古代以来の自然に対する「信仰」については、
日本人の伝統的な自然観を形成しており、
今日まで受け継がれています。
「日光山」内の山林地域は、自然と社殿が一体となった「文化的景観」を形成する上で、
重要な資産となっている。
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