熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)

熊野三山
(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)




和歌山県の熊野エリアにある
「熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)」。

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産にも含まれていて、
その歴史は、かなり長い。
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の中で、
「紀伊山地の霊場」には、
・吉野大峯エリア(金峯山寺)=修験道の拠点
・熊野三山エリア(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)=熊野信仰の中心地
・高野山エリア(高野山真言宗総本山 金剛峯寺)=真言密教の根本道場
の「三霊場」が登録されており、
「熊野三山」はその一部となっている。

「紀伊山地の霊場と参詣道」の「参詣道」は、
「三霊場」を結ぶ
そのうち、
「熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)」へと繋がる、
・田辺から熊野本宮に向かう「中辺路(なかへち)」
・田辺から海岸線沿いに那智・新宮へ向かう「大辺路(おおへち)」
・高野山から熊野本宮へ向かう「小辺路(こへち)」
・熊野参詣道 伊勢路
・熊野参詣道 紀伊路
などの「参詣道」を「熊野古道」と呼ぶ。





詳しくは、
下記をご参照ください。



「熊野三山」とは


古くより、
「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」の三社と、

Address : 〒647-1731 和歌山県田辺市本宮町本宮1110
Address : 〒647-0003 和歌山県新宮市新宮1番地
Address : 〒649-5301 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1

の三社を
「熊野三山」とされていた。


「和歌山県」の南東部に位置していて、
「40㎞」程の範囲に点在している。

世界遺産にも登録されている「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つで、
「熊野古道(熊野参詣道)中辺路」で繋がっている。

「熊野三山」へと繋がる

・田辺から熊野本宮に向かう「中辺路(なかへち)」
・田辺から海岸線沿いに那智・新宮へ向かう「大辺路(おおへち)」
・高野山から熊野本宮へ向かう「小辺路(こへち)」

の「参詣道」は、
「熊野参詣道」として世界遺産に登録され、
「熊野古道」と呼ばれている。


「熊野三山」は、
それぞれ個別の「自然崇拝」に起源を持っているが、
「熊野三山」相互の「主祭神」を勧請しており、
「熊野三所権現」として信仰されている。

「熊野権現(くまのごんげん)=熊野三所権現」は、
「熊野神〈くまののかみ〉」「熊野大神〈くまののおおかみ〉」とも呼ばれ、
「熊野三山」のそれぞれの神、

・家津美御子(けつみみこ)=「スサノオ」
・速玉=「イザナギ」
・牟須美(ふすび、むすび)=「イザナミ」

の総称。
「熊野神」を祀る「熊野神社」「十二所神社」は、
日本全国に「約3千社」ほどある。


世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」には、
「神仏習合」の過程で「熊野那智大社」と深い関わりを持つ
・青岸渡寺(せいがんとじ)(西国三十三所霊場の第一番札所)
・補陀洛山寺(ふだらくさんじ)(補陀落渡海信仰)
の二寺も「熊野那智大社」とともに世界遺産に登録された。



熊野三山

熊野三山は、
「紀伊山地」にある三つの霊場「熊野三山」「高野山」「吉野・大峯」の一つ。


Address : 〒649-5301 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
Address : 〒647-1731 和歌山県田辺市本宮町本宮1110
Address : 〒647-0003 和歌山県新宮市新宮1番地
Address : 〒649-5301 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山

Address : 〒649-5301 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8



Address : 〒648-0294 和歌山県伊都郡高野町高野山132
紀伊山地ある三つの霊場「熊野三山」「高野山」「吉野・大峯」の一つ。


Address : 和歌山県




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「熊野三山」の参拝順序


「熊野三山」の参拝順序は、
・熊野本宮大社

・熊野速玉大社

・熊野那智大社
の順に参拝することが正式とされているらしい。


古くより、
「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」の三社と、
「那智山青岸渡寺」の一寺を「熊野三山」と呼び、
熊野三山は「熊野古道(熊野参詣道)中辺路」によって結ばれていて、
熊野本宮大社 → 熊野速玉大社 → 熊野那智大社
の順に参拝することが正式とされています。

ですが、
ツアーなどでは、

熊野那智大社 → 熊野本宮大社 → 熊野速玉大社
熊野那智大社 → 熊野速玉大社 → 熊野本宮大社

の順に参拝したりするそうです。



実際に訪れてみて、
1日で3社全てを
熊野本宮大社 → 熊野速玉大社 → 熊野那智大社
の順で回ってみた結果、
じっくりと3社全てを回るには、
時間的には、厳しい。
体力的にも、
最後の「熊野那智大社」は、
疲れて、参拝するだけに。。。。。。
「那智滝」まで回るには、
体力も時間も足りなかった。


じっくり回るのなら、
2日に分けて、
1日目=「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」
2日目=「熊野那智大社」
のスケジュールが良い気がします。

「熊野那智大社」は、敷地が凄く広いので、
全体を回るには、体力も時間も必要。
「熊野那智大社」では、
少なくとも、
「熊野那智大社」「青岸渡寺」「那智滝」「参道のお店」
は、訪れておきたい。

2日間に分ける場合、
時間的に余裕ができるので、
周辺の関連施設や、
「那智の浜」や「御当地グルメ」の「海鮮」などを楽しんだり、
「道の駅」によって、お土産を探すのもおすすめ。
その土地でしか買えない「食材」「調味料」が豊富に販売されていました。


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世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」とは


世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の正式名称は、
紀伊山地の霊場と参詣道
(Sacred Sites and Pilgrimage Routes in the Kii Mountain Range)
となっている。


「世界文化遺産」として登録されている「紀伊山地の霊場と参詣道」は、
・修験道の拠点である「吉野・大峯」
・熊野信仰の中心地である「熊野三山」
・真言密教の根本道場である「高野山」
・「三霊場」を結ぶ「参詣道」
で構成されている。

「三霊場」に加え、
「三霊場」を結ぶ「参詣道」から構成されており、
「熊野古道」という名称でも良く知られる。


周辺には、
「熊野古道」の他に、
「三霊場」を結ぶ「参詣道」が貼り巡っている。


世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産

吉野大峯
構成資産種別年代説明
吉野山遺跡・景観有史以前山岳信仰と修験道の「聖地」。「桜の名所」としても知られる。
吉野水分神社遺跡有史以前吉野山の「地主神」を祀る神社の「遺跡」
吉野水分神社社殿記念工作物1604年装飾性豊かな「神社建築」
金峯神社遺跡有史以前吉野山の「地主神」を祀る神社の「遺跡」
金峯山寺遺跡12世紀修験道の中心寺院及び付属施設の「遺跡」
金峯山寺本堂記念工作物1592年修験道の中心寺院「金峯山寺」の大型木造本堂
金峯山寺二王門記念工作物1456年修験道の中心寺院「金峯山寺」の大型木造二重門
金峯山寺銅鳥居記念工作物15世紀半「金峯山寺」修験道の修行の入り口として重視されてきた銅製大鳥居
吉水神社遺跡12世紀金峯山寺に付属した寺院の遺跡
吉水神社書院記念工作物15世紀前半修行者の滞在所兼宿泊所として用いられた大型書院
大峰山寺遺跡8世紀初修験道の本尊が出現したという高山の山頂にある寺院を中心とする修行場及び遺跡
大峰山寺本堂記念工作物1703年峻険な山頂に建つ修験道の大型木造仏堂
    
    
熊野三山
構成資産種別年代説明
熊野本宮大社遺跡1891年熊野三山を構成する三神社の一つ
熊野本宮大社社殿記念工作物1801-1807年熊野独特の建築様式を保つ神社建築群
旧社地大斎原遺跡有史以前熊野川の中洲に位置する熊野本宮大社の旧社地及び付属寺院の「遺跡」
備崎経塚群遺跡12-14世紀旧社地を望む熊野川岸の丘陵にある経塚の群集遺跡
熊野速玉大社遺跡・景観有史以前巨石崇拝に起源し、熊野三山を構成する三神社の一つ
熊野速玉神社のナギ天然記念物樹齢800年神木として丁重に扱われてきた老樹
熊野那智大社遺跡・景観有史以前滝崇拝に起源し、熊野三山を構成する三神社の一つ
熊野那智大社社殿記念工作物1853年熊野独特の建築様式を保つ神社建築群
青岸渡寺遺跡5世紀前半滝に出現した観音を本尊とする寺院
青岸渡寺本堂記念工作物1590年観音巡礼の霊場である寺院の大型木造本堂
青岸渡寺宝篋印塔記念工作物1322年尼僧が建立した大型石塔
那智大滝景観有史以前古代から信仰の対象とされてきた日本一の滝
那智原始林景観有史以前神域として保護されてきた原始林
補陀洛山寺遺跡5世紀前半観音の浄土「補陀落山」に渡海する信仰の拠点であった寺院の遺跡
    
    
高野山
構成資産種別年代説明
丹生都比売神社遺跡有史以前金剛峯寺の鎮守である神社及び仏教施設の遺跡と「参詣道」
丹生都比売神社本殿記念工作物1306年・1469年・1715年・1901年高野山地域の地主神及び他地域から勧請された神々を祀る神殿
丹生都比売神社楼門記念工作物1499年神殿の前の大規模な木造楼門
金剛峯寺遺跡・景観816年真言密教の山上修行道場として創建された金剛峯寺の境内地
伽藍地区遺跡816年金剛峯寺の創建以来の中心地
金剛峯寺山王院本殿記念工作物1523年金剛峯寺の鎮守として勧請された地主神を祀る神社
金剛峯寺不動堂記念工作物1198年皇族によって建立された山上祈願所の遺構
奥院地区遺跡・景観835年金剛峯寺を創建した僧空海の御陵を中心とする地域
金剛峯寺奥院経蔵記念工作物1599年有力武家が母親の供養のために寄進した経典の収蔵庫
佐竹義重霊屋記念工作物1599年地方の有力武家の木造霊屋
松平秀康及び同母霊屋記念工作物1604年・1607年地方の有力武家の石造霊屋
上杉謙信霊屋記念工作物17世紀前期地方の有力武家の木造霊屋
大門地区遺跡12世紀金剛峯寺の正門である大門を中心とする地域
金剛峯寺大門記念工作物1705年金剛峯寺の正門である巨大な木造二重門
金剛三昧院地区遺跡1211年・1223年有力武家出身の女性が夫と子の山上菩提所として建立した寺院
多宝塔記念工作物1223年真言密教の思想を凝縮した多宝塔の発祥の地高野山でも最古の多宝塔
経蔵記念工作物1223年日本の伝統的な倉庫形式を保つ経典の収蔵庫
四所明神社本殿記念工作物1552年高野山の鎮守を勧請した神社
客殿及び台所記念工作物17世紀前半参詣者の応接と宿泊のための建造物
徳川家霊台地区遺跡1641年徳川幕府の将軍の霊屋を中心とする地域
金剛峯寺徳川家霊台記念工作物1641年徳川幕府の初代・二代将軍のための装飾華麗な木造霊屋
本山地区遺跡1592年金剛峯寺の宗務上の中心地である本坊がある地域
慈尊院遺跡9世紀前半金剛峯寺の山下政所として創建された寺院
慈尊院弥勒堂記念工作物14世紀本尊である弥勒仏坐像を安置する本堂
丹生官省符神社遺跡9世紀前半金剛峯寺の山下政所の鎮守として勧請された神社
丹生官省符神社本殿記念工作物1517年・1541年地主神及び地方から勧請された神々を祀る神殿
    
    
参詣道
構成資産種別年代説明
大峯奥駈道遺跡・景観8世紀初吉野・大峯と熊野三山を結ぶ修験者の修行の道
仏経嶽原始林景観有史以前大峯奥駈道沿いにある中世以来保護されてきた天然林
オオヤマレンゲ自生地景観有史以前「天女花」と呼ばれて修験者に愛でられてきた花木の自生地
玉置神社境内遺跡・景観有史以前大峯奥駈道沿いにある古代の山岳信仰に起源する神社
玉置神社社務所及び台所記念工作物1804年神社に付属する修験道の寺院の遺跡
熊野参詣道遺跡・景観10世紀前半以前熊野三山への参詣者が数多く通行した道
中辺路遺跡・景観有史以前京都と熊野三山及び熊野三山相互を結ぶ最も主要な「参詣道」
湯峯温泉遺跡・景観有史以前熊野本宮大社近くにある湯垢離の場
熊野川遺跡・景観有史以前熊野本宮大社と熊野速玉大社を結ぶ「川の参詣道」
小辺路遺跡・景観1573年以前高野山と熊野三山を結ぶ「参詣道」
大辺路遺跡・景観8世紀紀伊半島西岸を通る「参詣道」
伊勢路遺跡・景観10世紀後半以前紀伊半島東岸を通り、伊勢神宮と熊野三山を結ぶ「参詣道」
七里御浜遺跡・景観有史以前海岸美に恵まれた「参詣道」
花の窟遺跡・景観有史以前伊勢路の分岐点に位置する巨岩崇拝の「神社」
熊野の鬼ヶ城附獅子巖遺跡・景観有史以前伊勢路沿いにある「景勝地」
高野参詣道遺跡・景観9世紀前半山麓の紀ノ川沿いから高野山へ向かう「参詣道」及び、高野山を囲繞する「女人道」


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熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)



「熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)」は、
「熊野速玉大社」「熊野那智大社」とともに、
日本全国にある「熊野神社」の「総本山」。

日本一の大鳥居「大斎原(おおゆのはら)」も持つ。
古くから「熊野信仰」を中枢にになってきた。
杉木に囲まれ、158段の石段を上って参拝する。
静かな雰囲気の神社。

京都からの数百キロの道のりを歩く「熊野詣」で、
最初に辿り着く「熊野本宮大社」。


もとは、「熊野川」「音無川」「岩田川」の合流点である中州に、
「熊野本宮大社」の「社」があったが、
「明治22年」の大洪水によって流出してしまい、
残ったものを現在の場所に移築・再建した。

日本一の「大鳥居」である「大斎原(おおゆのはら)」(高さ34m)は、
「旧社地」であり、
現在も、「熊野本宮大社」の聖域とされている。


「熊野本宮大社」の「主祭神」は、
・家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)=(素戔嗚尊(スサノオノミコト))
であり、
「熊野速玉大社」の「主祭神」は、
・熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)=(伊邪那岐(イザナギノミコト))
・熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)=(伊邪那美(イザナミノミコト))
の「夫婦神」を祀っており、
「三神」は、総称して「熊野三所権現」と呼ばれている。


「熊野本宮大社」の起源

「熊野本宮大社」は、
熊野川や周辺の自然を祀る「自然信仰」が起源と言われ、
創建時期などは不明となっているが、
初代「神武天皇」の時代には、
既に存在していたそうです。

「古事記」によると、
天地が初めて出現した時、
「天之御中主神(あまのみなかぬしのかみ)」についで、
「神産巣日神(かみむすひのかみ)」とともに現われた
造化三神の一つ「高御産巣日神」が、
天より「八咫烏(やたがらす)」を遣わし、
「神武天皇」を大和の「橿原」まで導かれたと言われている。


熊野の地を治めた
熊野国造家の祖神「天火明命(あめのほあかりのみこと)」の息子
「高倉下(たかくらじ)」は、
「東征」する「神武天皇」を、
天剣「布都御魂」を献じてお迎えしたとのこと。


社殿は、
第十代「崇神天皇」の時代に、
三つの「月」が、
「旧社地大斎原」の「櫟の巨木」に降臨し、
天火明命の孫「熊野連」が、

「我は、「證誠大権現(家都美御子大神=素戔嗚尊)」、
両側の月は「両所権現(熊野夫須美大神・速玉之男大神)」。
ここに、「社殿」を創り、祀れ。」

という
「神勅」を承り、
最初の「社殿」が、
「熊野川」の岸辺に作られたと言われている。


「熊野権現」は、
「熊野速玉大社」の元宮「神倉神社」にある 「神倉山」の南端に位置する「ゴトビキ岩」に、
「熊野権現」が降臨したとされている。



「熊野本宮大社」の駐車場



「熊野本宮大社」の駐車場は、 鳥居の横にある「瑞鳳殿」の手前にあります。
調べていかないとわかりずらい感じ。
駐車台数は、15台ほど。

その隣には、
お土産物店「樹の里」があり、
大きな駐車場もある。
営業時間中ならば、
行き・帰りに立ち寄ることを条件に、
駐車しての参拝をOKにしているようです。


道路を挟んで、
反対側には、
「和歌山県世界遺産センター」があって、
そちらの駐車場も利用可能なようです。


一番大きな駐車場は、
「熊野川」の「河川敷駐車場」。
混雑する時期は、
最初から、「熊野川河川敷駐車場」に向かった方が良さそう。

「熊野本宮大社」だけでなく、
「熊野本宮大社」周辺にも、
参拝スポットがあるので、
周遊する場所を考えた場所に駐車する方が良さそう。


「熊野本宮大社」を訪れたら、
「熊野本宮旧社地 大斎原」も訪れたいので、
意外と、「熊野川河川敷駐車場」を利用するのが良さそうかも。



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熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)



「熊野速玉大社」は、
「熊野本宮大社」から「熊野川」を約40kmほど下った
「熊野川」が海へと流れ出る河口付近にある
朱色の社殿を持つ「熊野速玉大社」。

世界遺産には、
・神社境内を中心に背後の「権現山(神倉山)」
・熊野川に浮かぶ「御船島」
・「御旅所」
を含んで指定されている。

現在の社殿は、
「明治16年9月」に炎上し、その後再建されたもの。

境内には、
「神木」とされる天然記念物「ナギの木」の大樹がある。


「熊野速玉大社」の起源

「熊野速玉大社」は、 街に隣接する「神倉山」の南に、
高さ「約100m」ほどの断崖絶壁にある
巨岩「ゴトビキ岩」への自然信仰から始まった
自然崇拝が起源。

「熊野速玉大社」より先に、
巨岩「ゴトビキ岩」を「御神体」として祀る「神倉神社」があり、
「神倉神社」は、
古く「古事記」「日本書紀」にも記されている歴史ある神社。
社殿などもない原始信仰時代から信仰されている。

その後、
「神倉山」の南端の「ゴトビキ岩」に降臨した「熊野権現」を歓進するため、
現在の「熊野速玉大社」がある地に「社殿」を造営し祀ったとされている。
この「社殿」が、「熊野速玉大社」の起源となる。

「神倉神社」は、「元宮」
「熊野速玉神社」は、「神倉神社」の「新宮(にいみや)」と呼ばれ、
現在の地名「新宮市」となったとのこと。


「神倉神社」は、
「熊野三山」に祀られる「熊野権現」が降臨した
巨岩「ゴトビキ岩」のある「聖地」。



「熊野速玉大社」の駐車場



「熊野速玉大社」の駐車場は、
入り口となる鳥居を右に曲がって、
少し進んだ左側にある。

境内の「右手前」に位置していて、
あらかじめ調べておかないと、
少しわかりずらい。

境内に近い駐車場の他に、
「熊野川」の河川敷にも「駐車場」が用意されていた。


境内に近い駐車場は、
「30台」ほどが駐車できる広めのスペース。
混雑時には、
満車になることも多い様子。


「熊野川河川敷駐車場」も、
それほど遠くないので、


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熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)



「熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)」は、
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山にある神社で、
近くの山中にある日本一の「那智滝」を「神聖化」した
自然信仰が始まり、

社殿などが作られたのは、
「熊野本宮大社」「熊野速球大社」より、
かなり遅い時期だが、
現在では、
社殿などの構造は、
「熊野三山」の中で、最も「古式」。
古代の姿をそのまま残している。
「権現造り社殿」の隣には、「那智山青岸渡寺」の本堂が建っている。


「熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)」は、
「那智山 青岸渡寺(せいがんとじ)」と同じ場所にあり、
もとは、ひとつの「修験道場」で、
「熊野那智大社」と「那智山 青岸渡寺」が作られた。
敷地は同じで、社殿は隣にあるので、
同一の場所に、
「熊野那智大社」と「那智山 青岸渡寺」は存在する。
「青岸渡寺」は、「西国三十三所霊場の第一番札所」であったため、
明治時代の「神仏分離令」を免れた。
そのため、
現在も同じ敷地に存在流することになった。

人々の「神」「仏」も区別することなく信仰していた
「神仏習合時代」の名残りを感じられる貴重な場所。
広大な境内は、「曼荼羅絵図」のようだとも言われている。
「那智参詣曼荼羅絵解き」そのままの空中都市が広がっているとのこと。


「熊野那智大社」の「主祭神」は、
「千手観音」とされた「熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)」
または、「夫須美神(ふすみのかみ)」。
その他に、「十二の神」が祀られ、「熊野十二所権現」と呼ばれている。


「那智の滝」は、
「熊野那智大社」の別宮「飛瀧神社」の「御神体」。
「落差133m」「銚子口の幅13m」もある「日本の三大名滝」のひとつ。

「那智大滝」は、
「一の滝」とも呼ばれ「落差133m」。
「日本一の名瀑」としても知られる。


「熊野那智大社」の起源

「熊野那智大社」は、
もとは、
日本一の名瀑「那智滝」を信仰する
自然信仰が起源。

「那智の滝」の「御神体」と「熊野の神々」を、
現在の「社(やしろ)」に移したのが
「熊野那智大社」の始まり。


別宮「飛瀧(ひろう)神社」には、
「熊野三山」の「神」などの「十二柱」も祀られていた。
その神々を、
1700年前の「仁徳天皇5年(317年)」に、
現在の「熊野那智大社」の場所である
「那智山」の中腹に「社」を建て、
「那智の滝」の神も含め、
国生みと神生みの女神「熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ、イザナミノミコト)」を主祭神とし
「十三柱の神」を祀っている歴史があるそうです。


奈良時代には、
「修験道」や「仏教」の「聖地」とされ、
「熊野権現信仰」が全国に広まった。


平安時代に入ると、
熊野の霊場は、
訪れる人の「心魂」が蘇り、
人生の再出発を踏み出すことができる
「よみがえりの地」として知られるようになった。

熊野三山(本宮・新宮・那智各大社)では、
「熊野本宮大社」の主祭神「家都美御子神」を「阿弥陀如来」
「熊野速玉大社」の主祭神「熊野速玉男神」を「薬師如来」
「熊野那智大社」の主祭神「熊野牟須美神」を「千手観音」
としてお祀りしており、

「熊野三山」はそれぞれ、
「熊野本宮大社」は、「西方極楽浄土」
「熊野速玉大社」は、「東方浄瑠璃浄土」
「熊野那智大社」は、「南方補陀落浄土」
であると考えられており、
訪れた人の「心魂」が浄化されるとされ、
平安時代以降には、
熊野全体が「浄土の地」「心洗われる聖地」と知られるようになったとのこと。
「熊野」を訪れることは、
「黄泉の国」に往き、生まれ変わり、
「現世」へと戻る「蘇り」をする
というプロセスを行うことと同じと言われている。

「熊野那智大社」は、
大自然のパワーが溢れる「熊野」の地を感じる。



「熊野那智大社」の駐車場



「熊野那智大社」は、
「駐車場」選びが重要。。。。。。

「修行場」であった場所なので、
広い敷地に、高低差がある。

参拝の方法や、
時間帯によって、
駐車場の場所を選ぶ必要がある。

「熊野那智大社」「青岸渡寺」は、
数時間で参拝できるルートもあるが、
全体を参拝して歩く場合は、
丸一日かかると思った方が良い。
「那智滝」も見て回るなら、
歩きやすい服装が良いと思う。



「熊野那智大社」を参拝するのに、
麓から歩いて登るには、
1番下にある駐車場が良い。

Address : 〒649-5302 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町市野々3034−2


「那智滝」を散策するには、
少し登った「熊野那智大社 別宮 飛瀧神社」の
「駐車場」を利用するのが便利。

Address : 〒649-5301 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山 那智の滝前


「熊野那智大社」「青岸渡寺」の1番近い駐車場は、

Address : 〒649-5301 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山
Address : 〒649-5301 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山150

の2つ。
かなり車で登って行く場所にあるので、
あらかじめ調べていかないと、
すごく不安になる道もある。
だが、
「熊野那智大社」「青岸渡寺」がすぐ近くなので、
参拝には、とても便利な駐車場。


参拝道にお店を構えているお店の駐車場も、
有料で車を駐車することができる様子。
参拝の前後に、
お土産や食事をするのに、便利な駐車場。


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