「兵庫県淡路島」にある
「伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)」は、
国生みの神功を果たされた「伊弉諾大神」が、
余生を過ごした「幽宮」だった場所に建てられた「神社」。
「日本最古の神社」で、
「敷地面積」は、「約1万5000坪」という広大な広さの「境内」を持つ。
国生みの神功を果たされた「伊弉諾大神」は、
共に国生みの神功を果たされた
「妻」である「伊弉冉尊(イザナミ)」の死などにより、
最後に生み残した「三貴神」である
「天照大御神(あまてらすおおかみ)」「月読尊(つきよみのみこと)」「須佐之男命(すさのおのみこと)」のうち、
国家統治の大権を御子神「天照大御神」へと委譲した。
そして、
最初にお生みになられた「淡路島多賀」の地に、
「幽宮(かくりのみや)」を構え余生を過ごした。
その「伊弉諾大神」が過ごした「幽宮(かくりのみや)」の場所が、
のちに「御神陵」が建てられ「聖地」とされ、「神社」が創始された。
そして、
「伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)」となって、現在に至っている。
「伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)」に祀られている
「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」と「伊弉冉尊(いざなみのみこと)」の二柱。
「伊弉諾大神」は、「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」のこと。
地元では、
「伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)」を「いっくさん」という愛称で呼び、親しまれている。
他にも、
「日之少宮」「淡路島神」「多賀明神」「津名明神」
という愛称も使用され、崇められている。
明治時代に、御陵地を整地し、
御陵を中心に、神域の周囲に「濛」が巡らされた。
正面の「神池」や、背後の湿地は、この周濛の遺構とされている。
「建物」や「工作物」は、
大部分が、「明治九年から同二十一年」に、「官費」で造営されたもの。
「境内面積」は、「約1万5000坪」。
江戸時代あたりでは、更に広い敷地が「神域」として、
禁足の地とされていたそう。
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