「川崎大師」は、お寺。
正式名は「平間寺(へいけんじ)」といい、
神奈川県川崎市川崎区にある1128年(大治3年)に建立された「真言宗智山派」の大本山。
「川崎大師」は通称で、
山号は「金剛山」。院号は「金乗院(きんじょういん)」。
総本山は、京都東山七条にある「智積院」。
真言宗の祖「弘法大師」を「本尊」に仰いでいます。
「厄災」を消除してくれる「厄除大師」として有名な「川崎大師」。
関東近郊、全国から篤い信仰を集めています。
「川崎大師」では、
厄除に絶大な効果があるといわれる「護摩」を焚いてもらえる。
初詣に「川崎大師」が人気なのは、「護摩」を行っている寺院だからとも言われている。
「護摩(ごま)」とは、
炎の力を受け祈祷することで、煩悩を焼き尽くす
という「真言宗」「天台宗」の密教の祈祷。
「密教」は、「師」から「弟子」へと体現を持って伝えられる教えであり、
「護摩」はその教えの1つ。
「護摩」を行えるのは、「密教」で「護摩」の教えを受け継いだ「阿闍梨(あじゃり)」のみに許されている。
「川崎大師」と同様に、
初詣で人気の寺院「成田山新勝寺(真言宗)」「浅草寺(元天台宗)」も、「密教」を受け継ぐ寺院。
成田山新勝寺(千葉県成田市)と高尾山薬王院(東京都八王子市)ともに「真言宗智山派」の大本山で、
「関東三山」と呼ばれている。
「川崎大師」の初詣期間の参拝者数は、
全国でもトップクラスで、毎年300万人以上の人が参拝している。
初詣参拝者数は、全国3位のお寺。
御本尊:厄除弘法大師(やくよけこうぼうだいし)
宗派:真言宗 智山派(しんごんしゅう ちさんは)
開創:大治3年(1128)
名称:金剛山 金乗院 平間寺(こんごうさん きんじょういん へいけんじ)
開基/創建功徳主:「尊賢上人(そんけんしょうにん)」/「平間兼乗氏(ひらまかねのり)」
通称:「厄除弘法大師(やくよけこうぼうだいし)」「川崎大師(かわさきだいし)」
約890年ほど前、「崇徳天皇」の時代に、
無実の罪により、
国を追われ、流浪の末、川崎の地にたどり着き生活をしていた
武士「平間兼乗(ひらまかねのり)」は、
「仏教」を深く信仰し、「弘法大師」を特に崇信していました。
夢に、1人の高僧が現れ、
「我むかし唐に在りしころ、
わが像を刻み、海上に放ちしことあり。
以来未(いま)だ有縁の人を得ず。
いま、汝速かに網し、これを供養し、功徳を諸人に及ぼさば、
汝が災厄変じて福徳となり、諸願もまた満足すべし」
と告げられた。
「平間兼乗(ひらまかねのり)」は、
お告げの通り、海に出て、
光り輝く場所に、網を投じると、
大師のお像が引き上げられました。
お像を大切にしていると、
諸国を回っている高野山の「尊賢上人」が訪れ、
話に感銘し、1128年(大治3年)に、
兼乗の姓「平間」を使った現在の「川崎大師」となる「平間寺(へいけんじ)」を建立しました。
「川崎大師」の御本尊「弘法大師空海上人」。
「弘法大師」は、約1240年ほど前に生まれ、
「真言密教」の教えを日本に広められたことで知られている。
日本仏教の柱であり、1000年以上経過しても、尊敬され慕われている。
「川崎大師」には、東京と京都に別院があり、
東京の別院は、「川崎大師東京別院 薬研堀不動院(かわさきだいしとうきょうべついん やげんぼりふどういん)」
と呼ばれている。
御本尊は、「不動明王 (ふどうみょうおう)」が祀られていて、
古くから「目黒」「目白」と並び「江戸三大不動」として知られています。
Address : 〒103-0004 東京都中央区東日本橋2-6-8
川崎大師の京都別院は、山科にある「真言宗智山派(ちさんは)」のお寺「笠原寺」。
1979年(昭和54年)に、「故笠原政江尼僧」により開山されたお寺。
Address : 〒607-8172 京都市山科区大宅岩屋殿2
大本堂
1964年(昭和39年)に作られ、
本尊「厄除弘法大師」を祀っている。
堂内には、「稚児大師」「救世観音像」「不動明王」「愛染明王」「金剛界曼荼羅」「胎蔵界曼荼羅」も祀られている。
「護摩祈祷」も行われ、「諸願成就」が祈願される。
「勅願寺」として認められ「大本堂大棟」には、「菊花」の紋章が刻まれている。
大山門
「浄域結界」の総門となっており、厄払いスポット。
1977年(昭和52年)に、開創850年記念事業として作られた。
京都「東寺」の「四天王像」を模した彫刻を安置している。
不動堂
1890年(明治23年)に建立されたが、
現在の建物は、1964年(昭和39年)に再建された。
本尊の「不動明王」は、「成田山新勝寺」の本尊を勧請。
「関東三十六不動霊場第7番」「武相不動霊場第1番札所」にもなっている。
不動門
戦後「第43世隆超和上」により福島県から「山門」として移築されたが、
現在の「大山門」建立により、「不動門」として移設された。
薬師殿(旧 自動車交通安全祈祷殿)
1963年(昭和38年)に建設され、
1970年(昭和45年)に、現在のインド風の建物になる。
「弘法大師」「不動明王」「般若守護十六善神」が奉安されていたが、
2006年に、大師河原に新祈祷殿「自動車交通安全祈祷殿」が建てられ、
2008年に、「薬師殿」となった。
中興塔(八角五重塔)
1984年(昭和59年)に、
「弘法大師1150年御遠忌・大開帳記念」として建設された
八角形が特徴の「堂宇」。
二層に「恵果和上像」「弘法大師像」「興教大師像」「両界曼荼羅」
初層に「真言八祖の図像」「金剛界五智如来像」
地下の大師地区慰霊堂には「釈迦如来」
が奉安されている。
経蔵
2004年(平成16年)に建設。
中国最後の「木版代大蔵経」といわれる
「乾隆版大蔵経」を収蔵していて、
本尊は「釈迦如来」。
天井には仏画家「染川英輔」による「飛天」図があり、
「釈迦如来像」正面には、巨大な「五鈷杵」が保管されている。
「経蔵」の完成により、「七堂伽藍」が整った。
福徳稲荷堂
「大本堂」と「不動堂」の間にあり、
境内で唯一「太平洋戦争」をで消失しなかった「堂宇」。
聖徳太子堂
聖徳太子をまつる「御堂」。
清瀧権現堂
京都「醍醐寺」より勧請した「清瀧権現」を祀っている。
鐘楼堂
大晦日の「除夜法楽」
6月10日の時の記念日
8月6日の広島原爆忌
8月9日の長崎原爆忌
8月15日の終戦の日
に「梵鐘」が打たれる。
大本坊
寺務所。
大玄関には「稚児大師」が祀られており、一般信徒でも拝観できる。
信徒会館
「大日如来像」を奉安していて、
一階ロビーには、
「涅槃図」「成道図」などの「ステンドグラス」と「噴水」あり、
通称「ステンドホール」と呼ばれている。
地下には、300名収容のホール「大講堂」がある。
結婚式場もある。
中書院
1966年(昭和41年)に作られ、
南側「光聚庵」(崇仁親王妃百合子命名)
北側「心月庵」(茶道裏千家家元汎叟宗室(鵬雲斎)命名)
「静嘉軒」(立礼席)
からなる。
茶室は申込みにより借用可能。
金剛閣
正月期間中には、一階は護摩札渡し所となる。
護持志納受付所・お護摩受付所
一階ピロティ部分は、「護摩札の申し込み受付」「志納受付所」。
二階は篤信信徒接待等の応接に利用される。
清浄光院
檀徒菩提所。
参拝者や一般信徒立ち入り禁止となっている。
遍路大師像
弘法大師の立像。
「新四国八十八箇所札所」の石柱が立ち、
開設当時に、貫首が「四国遍路」をした時に持ち帰った「砂」が納められている。
降魔成道釈迦如来像
鶴の池の横にあり、
「降魔印」という印相を結んでいる
黄金に輝く「釈迦如来」の坐像。
胎内には、「真身仏舎利」が奉安されている。
「祈りと平和」の像
像全体は金色。
中央にある富士山の上に光臨した
「観音」をモチーフとした「女神」が「祈り」
周囲の鹿野苑で楽器を奏でる「天女」が「平和」
を表現している。
第五十五代横綱 北の湖敏満之像
平間寺を菩提所とする
「北の湖敏満(第55代横綱、第9・12代日本相撲協会理事長)」の
三回忌に建立された銅像。
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