旅メモ
旅メモ【日本編】





【宮城県】「伊達政宗」の霊廟「瑞鳳殿」

【宮城県】
「伊達政宗」の霊廟「瑞鳳殿」




「伊達政宗」の霊廟「瑞鳳殿」をまとめています。


「伊達政宗」の霊廟「瑞鳳殿」は、
「仙台城(青葉城)」から、
車で20分ほどの所にある。


綺麗な装飾が、
見ごたえのある建築。


装飾が綺麗なので、
「霊廟(お墓)」だということをわすれてしまいます。



詳しくは、
下記をご参照ください。



「瑞鳳殿」は「愛犬同伴OK」



「瑞鳳殿」は、
愛犬と一緒に参拝が出来ました。
「愛犬同伴OK」の観光スポットです。


「瑞鳳殿」での「愛犬同伴」には、
・霊廟の敷地内は、「キャリーバッグ」「スリング」などに入れること。
・施設内(建物内)は、「愛犬同伴NG」。
という
いくつかの条件がありました。

綺麗な建物を愛犬と一緒に見学出来る。
貴重なスポット。
マナーを守って、
いつまでも愛犬同伴で訪れられるようにしたいものです。


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「伊達政宗」の霊廟「瑞鳳殿」とは



「瑞鳳殿」は、
「伊達政宗」の「霊廟(お墓)」。

「瑞鳳殿」は、
「1636年(寛永13年)」に、
「70歳」で亡くなった仙台藩の
初代藩主「伊達政宗公」の遺命によって、
現在の「経ケ峯」に造営された。

「1931年(昭和6年)」には、
国宝にも指定されていた。
しかし、
「1945年(昭和20年)」の戦災で焼失しまい、
現在の「瑞鳳殿」は、消失以前の瑞鳳殿を再現するように、
「1979年(昭和54年)」に再建されたもの。



「瑞鳳殿」は、
「本殿」「拝殿」「御供所」「涅槃門」で構成され、
「伊達もの」「伊達メガネ」の語源となったような、
豪華な装飾を好んだ「伊達政宗」らしい、
豪華絢爛な廟建築となっている。


「2001年(平成13年)」に、
「仙台開府四百年」を記念し、
「大改修工事」が行われ、
柱の「彫刻獅子頭」、 屋根の「竜頭瓦」、
などが復元され、
創建当時の姿が甦った。



周辺には、
「伊達家」の末裔たちのお墓が、
数多く建ち並んでいる。
「瑞鳳殿」を参拝した後に、
周回して帰路に付くのが定番コース。



涅槃門 「瑞鳳殿」の正面門にある階段の手前にある「涅槃門」。
「涅槃」は、
「煩悩」を取り去った悟りの境地となる状態を意味している。
広い意味では、「死」の意味にもなる。

「瑞鳳殿」の「涅槃門」は、
樹齢数百年の「青森檜葉」を用いて再建された。
正面扉上部の蟇股には「瑞獣「麒麟」」、
左右の妻飾には「牡丹と唐獅子」、
焼失前と同様の豪華な「飾り彫刻」が刻まれている。
拝殿 「拝殿」は、「涅槃門」をくぐって、
階段を上がった所にある。

「拝殿」は、
「拝礼」のために整えられた施設で、
焼失前の「拝殿」は、「瑞鳳殿」の床面と同じ高さで、
「瑞鳳殿」の「正面扉」を開くと、
内部に安置されている「伊達政宗公」の「御木像」を拝礼することが出来たといわれている。

現在の「拝殿」は、「瑞鳳殿」がよく見えるよう簡略化されているもの。
殉死者供養塔(宝篋印塔) 「伊達政宗」の死去後、
「伊達政宗」を追って、
「切腹」し「自害」したものの「霊塔」。
「直臣15人」と「その家士5人」が殉死。

達政宗公が亡くなった
江戸時代の初期ごろでは、
死んだ主君のあとを追い、
切腹するという「追腹」が多く行われいたとのこと。

「伊達政宗公」も多くの家臣に慕われており、
「忠臣は二君に仕えず」といった当時の武士の価値観から、
死を持って、主君への忠誠を示すことが、
美徳とされていたとのこと。


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「伊達政宗公」とは


戦国武将として知られる
「伊達政宗公」は、
「伊達家」の「17世当主」であり、
「仙台藩62万石」の「初代藩主」。
「1567年(永禄10年)」に、
「出羽国米沢城」で、
伊達氏16代当主「伊達輝宗」の長男として生まれ、
「1636年(寛永13年)」に逝去。

母は、正室である最上義守の娘「義姫」。
幼名は、「梵天丸」。


「伊達政宗公」は、
幼き頃に、「疱瘡(天然痘)」にかかってしまい、 「右目」の視力を失った。
成長し、
トレードマークにもなり、
その武将としての強さから、
「独眼竜」という名称で呼ばれるようになった。


若き頃から、
戦に戦を重ね、武将としての腕を磨き、
「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」を相手に、
機転と度胸のある行動をして、
数ある危機を乗り越えていった。

「伊達政宗」が生涯で遭遇した危機には、

・父を殺害される
・領土周辺での度重なる戦
・豊臣秀吉の「小田原合戦」に遅れた
・「葛西大崎一揆」を先導した疑い
・朝鮮への出兵
・「豊臣秀吉」への謀反の疑い
・「関ケ原の戦い」に乗じた領土拡大の失敗で怒られる
・「大坂夏の陣」での「伊達軍」の損傷
・「徳川家康」への「謀反の疑い」(大久保長安(おおくぼながやす)事件)

などがある。



若き頃の「伊達政宗公」は、
戦国の時代には、
かつての「伊達家」の領土を持つ
「上杉家」との戦に時間を費やし、 領土を取り戻そうとしていた。

「豊臣秀吉」が「53歳」の時、
「伊達政宗」は、「24歳」。
もう少し早く生まれていたら、 今とは違う歴史へと
変えていたかも知れないぐらいの実力者。


戦国時代が終わり、
「徳川家康」が統一した「江戸時代」では、
「伊達政宗公」は、
主に、 ・藩内の農政改革
・文化財の建築
・治水事業
などの、「仙台藩の安定化」に尽力。
今でも、現存するのは、

Address : 〒980-0871 宮城県仙台市青葉区八幡4丁目6−1
「伊達政宗公」が晩年に整備した施設の一つ。
Address : 〒981-0213 宮城県宮城郡松島町松島町内91
「伊達政宗公」が晩年に整備した施設の一つ。

などの施設。
「文化財」として「国宝」にも指定されている。

藩の経営と同時に、
「伊達政宗公」は、 徳川幕府の重鎮として、家康の死後も大きな影響力をもっていた。
幾度となく、「謀反」を疑われることもあったそうだが、
「謀反」をすることなく、
「徳川政権」の安定化に尽力したと言われている。


「1636年(寛永13年)」に、
「伊達政宗公」は、逝去される。
「正宗山瑞鳳寺(現・仙台市青葉区)」に葬られている。



「伊達政宗公」の生涯

西暦元号年齢出来事
1567年永禄10年0 「出羽国米沢城」にて、
伊達氏16代当主「伊達輝宗」の長男として誕生。
1577年天正5年11歳 元服し、
「政宗」という名は、9世「大膳大夫政宗」の名にちなむ。
1579年天正7年13歳三春城主「田村清顕」の息女「愛姫」と婚姻。
1584年天正12年18歳伊達家を家督相続
1585年天正13年19歳 父「輝宗」が「畠山義継」に殺される。
反撃にでて「二本松城」を収めた。 その後、「佐竹」「蘆名」「岩城」「石川」「白河」らの連合軍に「仙道人取橋の戦い」で勝利。
1589年天正17年23歳 宿敵「蘆名氏」を磐梯山麓の摺上原にて破り、「会津」を略取し、「黒川城」に入る。
「会津4郡」「仙道7郡」をあわせ、最大の領土を得る。
南奥における「制覇」をほぼ実現。
1590年天正18年24歳 「豊臣秀吉」の「小田原征伐」に遅参。
弁明したが「会津」「仙道南部」を没収される。
「黒川城」から「米沢城」に移る。
同年に、「葛西大崎一揆」が発生したが鎮圧。
1591年天正19年25歳 「木村吉清」「清久」父子にかわり「旧葛西大崎領」を与えらる。
「仙道長井」の本領を没収され、居城も岩出山に移る。
1592年文禄元年・文禄2年26歳「朝鮮」に出兵する。
1595年文禄4年29歳「関白秀次事件」に連座した疑いで詰問されるが、許される。
1597年慶長2年31歳「従4位下」「右近衛権少将」に任じられました。
1600年慶長5年34歳 「関が原の戦い」で、「家康方」東軍に味方し、「上杉家」に攻撃を目論む。
「関が原の戦い」直前に家康よりいわゆる「百万石のお墨付き状」を送られたが、
「和賀一揆」などのことが理由で反古にされる。
「刈田郡」と「加封」「近江」に「5千石」、「常陸」に「1万石」の加増。
1601年慶長6年35歳 正月より「仙台城」の建設を始め、
同年4月に、建築途中の仙台城へ移る。
1605年慶長10年・12年39歳領内を検地。「塩釜神社」の「社殿」を修造、「大崎八幡宮」「陸奥国分寺薬師堂」を造営。
1608年慶長13年42歳「松平」姓を許され、「陸奥守」に任じられる。
1609年慶長14年43歳松島の「瑞巌寺」の上棟式。
1611年慶長16年45歳スペイン国王「フェリペ3世」の使節「ルイス・ソテロ」「セバスティアン・ビスカイノ」が仙台に来訪。
1613年慶長18年47歳「支倉長経」を「ローマ法王」「スペイン国王」のもとに遣わす。
1614年慶長19年48歳 大阪冬の陣。
大坂の役に出陣。
冬の陣後、長男「秀宗」が、「宇和島10万石」を賜る。
1615年元和元年49歳 ・大阪夏の陣
「夏の陣」では、敵将「後藤又兵衛」らを討つ「大功」を収める。
1621年元和6年55歳「ローマ法王」「スペイン国王」のもとに遣わした「支倉長経」らが帰国。
1626年寛永3年60歳「従3位」「権中納言」を賜る。
1629年寛永5年63歳「仙台城」の東南4.5㎞の地に隠居所とも称される「若林屋敷」が完成し、移り住む。
1634年寛永11年68歳 「近江」に「5000石」が加増され、
合計で「62万石」となる。
1636年寛永13年5月24日70歳江戸の「桜田屋敷」にて逝去。



「豊臣氏滅亡」以後から「政宗公」が逝去するまでに整備した施設

Address : 〒980-0871 宮城県仙台市青葉区八幡4丁目6−1
「伊達政宗公」が晩年に整備した施設の一つ。
Address : 〒981-0213 宮城県宮城郡松島町松島町内91
「伊達政宗公」が晩年に整備した施設の一つ。
Address : 〒985-8510 宮城県塩竈市一森山1−1
「伊達政宗公」が晩年に整備した施設の一つ。
Address : 〒984-0047 宮城県仙台市若林区木ノ下3丁目8−1
「伊達政宗公」が晩年に整備した施設の一つ。


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「伊達家」の子孫が眠る「霊廟」たち



「瑞鳳殿」の敷地内には、
「伊達家」の子孫たちの「霊廟」もある。


「善応殿(三代綱宗公廟)」「感仙殿(二代忠宗公廟)」の2つが、
その中でも大きな霊廟で、
「瑞鳳殿」と似ている建築様式となっている。


「伊達政宗」の霊廟「瑞鳳殿」に及ばないが、
綺麗な装飾がされた霊廟となっている。
「伊達家」一族のお墓がある。





感仙殿(二代忠宗公廟) 「感仙殿」は、
二代藩主「伊達忠宗公(1599~1658)」の霊廟。
「1664年寛文4年」に、四代藩主「伊達綱村」により建立された。

現在の建物は、
明治初年からの「廃仏毀釈」により、
本殿以外は取り壊され、
昭和20年の戦災で残された本殿も焼失。
昭和60年に、
「瑞鳳殿」に続いて再建された。
善応殿(三代綱宗公廟) 三代藩主「伊達綱宗公(1640-1711)」の「霊廟」。
「1716年(享保元年」に、五代「吉村公」により竣工される。
簡素な装飾だが、
落ち着いた佇まい。

現在の建物は、昭和60年に「感仙殿」とともに再建されたもの。
妙雲界廟
(みょううんかいびょう)
「感仙殿」北側にある
九代藩主「周宗公」と
十一代藩主「斉義公夫妻」
の墓所「妙雲界廟」


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「瑞鳳殿」へのアクセス



「伊達政宗」の霊廟「瑞鳳殿」は、
「仙台城(青葉城)」から、
車で20分ほどの所にある。

直線距離だと、
約1kmほどですが、
山を下って、
迂回していくので、
距離の割には時間がかかる。


「仙台駅」からは、「1.8km」ほどの距離にある。
徒歩でも行けそうな距離。

近くにバス停があったので、
バスでのアクセスが便利なのかも。
「辻標 四十七番」の北に10mほどの所に、
バス停があった。

Address : 〒980-0814 宮城県仙台市青葉区霊屋下18−1



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「瑞鳳殿」の「駐車場」





Address : 〒980-0814 宮城県仙台市青葉区霊屋下17−10−1



「瑞鳳殿」には、
参拝者用の「無料駐車場」が用意されていた。
「管理人」の方も常駐されていて、
案内をしてくれます。

帰りに、
参拝チケットを提示することで、
駐車場利用が「無料」となるようです。

駐車場を利用するときに、
案内されました。


屋根付きではなかったので、
暑い日には、
愛犬は連れて行くのが必須です。


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