「小田原城(おだわらじょう)」は、
神奈川県小田原市にあり、
箱根・江戸の入り口的な存在。
戦国時代から江戸時代にかけて利用されていた、
平野の中にある「山」「丘陵」等に築城された城「平山城」
「北条氏」の本拠地の城としても有名で、
戦国時代には、「上杉謙信」や「武田信玄」などの
有名戦国武将たちの攻撃にも耐えた「難攻不落」の城として知られた。
江戸時代は、「小田原藩」の藩庁として利用されていた。
城跡は、国の「史跡」として指定されている。
「小田原城」が築かれたのは、
15世紀の中頃で、
1500年頃に、戦国大名「小田原北条氏」の居城となった。
戦国時代には、
関東支配の中心拠点となり、
整備拡張されていき、
「豊臣秀吉」の攻撃に備え、
城下を囲む溝を城周辺に掘って完成させた時に、
小田原城は、日本最大の「中世城郭」になったそうです。
現存している小田原城は、その中心の一部で、
街中に、以前の城の跡地も存在しています。
1590年(天正18年)に、「豊臣秀吉」の約18万の大軍に、
小田原城は包囲され、約100日に及ぶ籠城戦の結果、「小田原城」を開城し、「北条氏」は滅亡した。
約90年にわたる戦国大名「小田原北条氏」による関東支配は、終わりを迎えました。
江戸時代になり、
城の規模は縮小され、
箱根の手前に位置し、関東地方の防御の要所として、
幕末まで、重要な役割を果たしていたお城です。
明治3年に「小田原城」は廃城となり、
城のほとんどが解体されてしまいました。
1923年(大正12年)に発生した「関東大震災」により、
残っていた石垣もほとんど崩壊してしまったとのこと。
現在の「小田原城」は、
「本丸」「二の丸」と「掘」の一部が、
国の「史跡」に指定されている。
本丸を中心に「小田原城城址公園」として整備されていて、
1960年(昭和35年)天守閣が復元
1971年(昭和46年)常盤木門が復元
1997年(平成9年)銅門が復元
2009年(平成21年)馬出門が復元
などが行われた。
「近世城郭」と「中世城郭」の時代の遺構が残る全国的にも珍しい城郭として知られています。
最大の特徴は、「豊臣秀吉」軍に対抗するために作られた、
八幡山から海側に伸び、小田原の町全体を総延長「9km」の土塁と空堀で取り囲んだ広大な「外郭」です。
後の「豊臣秀吉」が建設した「大阪城」の「外郭」を凌ぐ規模だったそうです。
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