【大阪府】栄華と動乱を経た「大阪城」





戦国時代の歴史の舞台であり、
経済の中心地にある「大阪城」。


幾度の「焼失」にともない、
現在の「大阪城 天守閣」は、
復元された「3代目」。


歴史上の有名な戦国武将
「豊臣秀吉」により築城された戦火により焼失した「初代大阪城」。
「徳川幕府」によって築城された「落雷」によって焼失した「2代目大阪城」。
現在の「天守閣」「昭和」に入り復元された「3代目大阪城」。

「初代大阪城」より、
とても豪華で大規模な城として知られていたようです。



詳しくは、
下記をご参照ください。



「大阪城」は「施設内」のみ「愛犬同伴NG」



「大阪城」は、
「施設内」は、「愛犬同伴NG」ですが、
公園内の「敷地内」は、「愛犬同伴OK」で、
リードで散歩できるようになっています。

地元の人が愛犬と一緒にたくさん散歩していて、
愛犬率は高めとのこと。
旅行者も愛犬と一緒に良く訪れるそうです。


「天守閣」などの「施設内」は、
「愛犬同伴NG」となっているので、
交代で訪れるか、
暑くない季節に訪れるのがベスト。


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「大阪城」とは



「大阪城(おおさかじょう)」は、
別称は、「錦城(金城)(きんじょう)」。
規模による「日本三名城(姫路城・名古屋城・大阪城)」の一つに数えられる。

設計者による「日本三名城」では、
「名古屋城・大阪城・熊本城」。
江戸時代の天守による「日本三名城」では、
「名古屋城・姫路城・熊本城」。 などの「日本三名城」があるが、
・姫路城
・名古屋城
・大阪城
・熊本城
が、日本を代表する「城」となっている。




Address : 〒540-0002 大阪府大阪市中央区大阪城1−1


現在の「大阪城」は、
国の「特別史跡」にも指定されており、
現在は、
「城址」を含む一帯は、
「大阪城公園(おおさかじょうこうえん)」として整備されている。

「天守」は、博物館「大阪城天守閣」となって運営されている。


「大阪城」は、
戦国時代の「大坂本願寺(石山本願寺)」を前身とし、
戦国武将「織田信長」との戦い「石山合戦」により敗北し「焼失」。
その跡地に、
「織田信長」死去後に、
政権を握った「豊臣秀吉」により、
「初代大阪城(豊臣大阪城)」が築城される。
「豊臣秀吉」が没落し、「大坂の陣」により、
「徳川家康」により落城し、「焼失」。
「徳川幕府」による再築されるも、
「落雷」により「天守閣が「焼失」、
再建されることなく、
時代が進み、
戦争時には、陸軍の拠点として使用され、
居所として使用されていた「本丸御殿」も火事で「焼失」。
戦後の「公園」として整備される。
「2代目徳川大阪城」は、
「石垣」「堀」「大手門」「多聞櫓」「千貫櫓」などが現存している。

現在の「天守閣」は、
「初代豊臣大阪城」「2代目徳川大阪城」に続く「3代目」。
「1931年(昭和6年)」に、
市民の寄付金によって、「復元」された「天守閣」。
「コンクリート」で建造されている。
国の「登録文化財」にも指定されている。


大阪城の歴史築城時期焼失時期
大阪城の前進
「大坂石山本願寺」
1496年
(明応5年)
築城
1580年
(天正8年)
に焼失
初代大阪城
「豊臣大阪城」
1583年
(天正11年)
築城
1615年
(慶長20年=元和元年)
に焼失
2代目大阪城
「徳川大阪城」
1620年
(元和6年)築城
1665年
(寛文5年)
落雷により天守閣焼失
3代目大阪城
「昭和の天守閣復興」
1931年
(昭和6年)
築城
-



Address : 〒540-0006 大阪府大阪市中央区法円坂1丁目6


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「大阪城」の「歴史」



「大阪城」は、
「1580年(天正8年)」に、
戦国時代末期から存在し、
「石山合戦」の講和直後に火災焼失した
「石山本願寺」の跡地。

「1496年(明応5年)」に、
「浄土真宗」の「蓮如上人」が、
現在の大阪城付近に「坊社」を建てたことから始まり、
後に「大坂石山本願寺」という巨大勢力になっていった。

大寺院となった「大坂石山本願寺」は、
巨大勢力となり、戦国武将「織田信長」との争いとなっていき、
「石山合戦」により、
「織田信長」に負け、
「1580年(天正8年)」に、
「寺院」「寺内町」が「焼失」。

現在、
「大阪城公園」内に、
「石山本願寺推定地」と「蓮如上人袈裟懸けの松」の「碑」が残っている。



「本能寺の変」により、
「織田信長」が死去した後、
「豊臣秀吉」が政権を握ると、
「1583年(天正11年)〜 1598年(慶長3年)」にかけて、
「豊臣秀吉」の築城により、
「初代大阪城」となった立派な「大阪城」が築城され、
現在では、「豊臣大坂城」と呼ばれている。
「1代目」の「大阪城」である。
「太閤はんのお城」と親しみのある呼び名もある。

「豊臣秀吉」が没落後、
「徳川家康」が政権を握り、
「1615年(慶長20年=元和元年)」の「大坂夏の陣」により、
「初代大阪城」の「豊臣大阪城」は落城し、
跡形もなく埋め立てられる。
「豊臣大阪城」の終焉。

「大阪城公園」内には、
「豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地」と
「淀君並殉死者三十二名忠霊塔」の「碑」がある。



「2代目」の「大阪城」は、
「徳川大坂城時代」の「大阪城」。
「徳川大坂城」は、
2代目征夷大将軍「徳川秀忠」により、
「1620年(元和6年)」から「10年」の歳月をかけて、
埋め立てられた「豊臣大坂城」の上に築城された。

現在、
大阪に残っている「大阪城」は、
「天守」を除く、
「天守台」「内堀」「外堀」などは、
「徳川大坂城」を原型としている。


しかし、
「2代目」の「徳川大阪城」は、
「1665年(寛文5年)」に、
「天守」に「落雷」が当たり「焼失」し、
その後、
「城」のない「天守台」だけの時代が続く。

徳川幕府にとって、
「大阪城」は、「西の拠点」だったので、
「本丸」付近にあった「本丸御殿」に住居を置いていたらしい。

その後、
「幕末」の「戊辰戦争」では、
「本丸御殿」の大台所付近から出火し、
翌日までに城の建造物の大半を「焼失」。



明治以後、
「陸軍用地」として使用されていた「大阪城地」は、
「1885年(明治18年)」に、
「和歌山城」の「紀州御殿」の一部を「大阪城本丸」に移築し、
「陸軍庁舎」や「明治天皇の行在所」として使用。
その後「紀州御殿」は、「昭和22年」に「焼失」。


時が流れ、
「3代目」の「大阪城」が、
「昭和の天守閣復興」で復元される。
「1931年(昭和6年)」に、
現在の「天守閣」が復元された。
市民の熱意により、
「鉄骨鉄筋コンクリート」を使用して復元され、
博物館施設として現在に至っている。
この時、
「紀州御殿」の横に「第四師団司令部」も新築したとのこと。
「天守閣復元」に使われた費用は、
「大阪市民」による「浄財・約150万円(現在の約750億円に相当)」。

「第2次世界大戦(太平洋戦争)」においては、
「大坂城」周辺に空襲の損害がありましたが、
「焼失」することはなく、
戦後は「史跡公園」として整備され、
現在に至る。


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「大阪城」の城内にある「豊國神社」



「大阪城」の城内にあって、
大阪城の天守閣の正面に繋がる道にある
「豊臣秀吉」を御祭神とする「豊國神社」。


「出世」「開運」の御利益がある。


大阪城の地に、
「豊國神社」が鎮座されたのは、
「明治元年」に、「明治天皇」が「大阪」をご訪問されたことがきっかけ。

歴史において、
現在の国を形作るのに、
多大なる功労を残したとして、
「豊臣秀吉」公を
「大阪」の地に奉祀するよう仰せになったことから、
「明治6年」に、
京都の「豊国神社」を「本社」として建立され、
大阪には、
「明治13年」に、中之島字山崎の鼻(現在の中央公会堂の地点)に創立された。
その後、「中央公会堂」を建設するため、移転することになり、
「昭和36年1月」に、現在の大阪城内へと移転した。
「大阪城跡」は、
歴史的にも、
「豊臣秀吉」とのゆかりが深く、
城としての能力も高いことから、
「パワースポット」「神域」として、
広く知られている。



「豊國神社」には、
「実寸大」のような大きさの
「豊臣秀吉」公の「像」がある。

現在の「豊臣秀吉公像」は、
「平成19年」に再建された「豊臣秀吉公像」。
「明治36年」に、
大阪城内に建立された旧「豊臣秀吉公像」は、
当社旧境内地(北区中之島)に移された後、
「昭和18年」の戦争下による「金属類回収令」によって、 供出されてしまい、失ってしまった。

戦後、再建されることはなかったが、
「平成19年」に再建されたのが、
現在の「豊臣秀吉公像」。



境内の奥には、
昭和を代表する作庭家「重森三玲」氏による
「設計」「指導」によって造られた庭園「秀石庭(しゅうせきてい)」がある。

知らなかったので、
「秀石庭(しゅうせきてい)」を見逃してしまった。。。。。。


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「大阪城天守閣」の前にある商業施設「ミライザ大阪城」



「大阪城」を訪れたら、
こちらも訪れたいスポット。


大阪城天守閣の
斜め向かいにあるレトロな建物は、
戦時下に、
陸軍の司令本部「旧第四師団司令部庁舎」
として使用されていた建物で、
「大阪市警視庁」「大阪府警本部」「大阪市立博物館」を経て、
商業施設「ミライザ大阪城」。


「ミライザ大阪城」には、
日本らしい「お土産」などが販売されているショップや、
大阪城を身近に眺められる「飲食店」などがある。


「大阪城」の歴史がわかる展示室「特別史跡 大阪城跡」も
「1F」の奥にある。


おしゃれなインテリアの飲食店は、
残念ながら「愛犬同伴NG」だったので、
訪れられなかったが、
美味しそうなメニューもあり、
機会があったら訪れたい。

屋上にある「BLUE BIRDS ROOF TOP TERRACE」では、
食事をしながら、「大阪城 天守閣」が最も近く、
身近に眺めることができるスポット。



お土産を売っているショップには、
武将グッズや、置物など、
海外の人や、子供達が喜びそうな商品が陳列されていて、
見て回るだけでも面白い。
日本の伝統工芸品・工芸品・カトラリーなども販売されていました。


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「大阪城公園」にある新しい城下町「JO-TERRACE OSAKA」



「大阪城公園」の
JR「大阪城公園駅」前のエリアにある
「JO-TERRACE OSAKA」。

現在の「城下町」をイメージして、
「2017年6月22日」に開業した新施設。


出店しているお店は、
「大阪」の有名店だったりして、
お昼の時間帯などは、
並んでいる列ができることも多いらしい。


「大阪城」を観光する前後に、
食事をしたり、
甘いものを食べて、一休みしたり、
テイクアウトして、公園で食べたりと、
「大阪城」観光の楽しみの一つ。


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「大阪城」観光ついでに大阪名物「たこ焼き」の名店「たこ焼道楽 わなか」



大阪名物「たこ焼き」の
有名店の一つ「たこ焼道楽 わなか」。

「大阪城公園」の
JR「大阪城公園駅」前のエリアにある
「JO-TERRACE OSAKA」の1店舗。


人気のお店みたいで、
お昼時をちょっと過ぎても、
並んでいる人は10人以上。


食べてみると、
「出汁(だし)」をしっかりと感じる、
しっとり柔らかくて、ジューシーな「たこ焼き」。

本場の「たこ焼き」の味を楽しめる。
確かに美味しい。
食べて良かった。



Address : 〒540-0002 大阪府大阪市中央区大阪城3−1


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「大阪城」の「駐車場」




「大阪城」の来訪者が利用できる「一般駐車場」には、

Address : 〒540-0002 大阪府大阪市中央区大阪城3−4
Address : 〒540-0002 大阪府大阪市中央区大阪城3−2

がある。
「D-parking 大阪城公園駅前駐車場」と「D-parking 森ノ宮駐車場」は、
すぐ近くにあり、
「大阪城」の「東」に位置する。

「一般駐車場」以外に、
「バス専用駐車場」があるので注意が必要。
「バス専用駐車場」は、
「大阪城公園」の「南」に位置する。


「バス専用駐車場」
Address : 〒540-0002 大阪府大阪市中央区大阪城3−3
Address : 〒540-0002 大阪府大阪市中央区3










Address : 〒540-0002 大阪府大阪市中央区大阪城3−4





Address : 〒540-0002 大阪府大阪市中央区大阪城3−2





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「大阪城」周辺の「旅グルメ」


「大阪城」周辺にある美味しそうな「旅グルメ」スポット。


Address : 〒540-0002 大阪府大阪市中央区大阪城3−1
「大阪城公園」の敷地内にある飲食店などが集まった商業施設。


「大阪」の御当地グルメ「たこ焼き」の有名店「わなか」のお店の一つが、
「大阪城公園」内にある商業施設「JO-TERRACE OSAKA」にある。


Address : 〒540-0002 大阪府大阪市中央区大阪城3−1


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