【岡山県】
「桃太郎伝説」と「綺麗な回廊」が魅力の
備中國一之宮
「吉備津神社」
「吉備津神社」と「吉備津彦神社」との関係
「岡山県岡山市北区吉備津」にある
「吉備津神社」を分社して作られたのが、
「吉備津彦神社」と「吉備津神社(広島県福山市)」。
645年「大化の改新」によって、中大兄皇子(天智天皇)が、
当時の政権を握っていた「蘇我入鹿」を暗殺し、
「蘇我氏」を滅ぼした政治的な出来事の後、
各地の法整備と地方の改革も行われ、
「吉備」の国が、「備中」「備前」「備後」の3地域に分割された。
その際に、
「吉備」の国を守っていた「吉備津神社」が3地域に分社され、
「備前」を守る神社として、
「吉備津彦神社(岡山市北区一宮)」と「吉備津神社(広島県福山市)」が作られた。
分社した後の関係は、下記のようになっています。
備中:吉備津神社(岡山市北区吉備津)
備前:吉備津彦神社(岡山市北区一宮)
備後:吉備津神社(広島県福山市)
Address : 〒701-1341 岡山県岡山市北区吉備津931
Address : 〒701-1211 岡山県岡山市北区一宮1043
「吉備津神社(岡山市北区吉備津)」と「吉備津彦神社(岡山市北区一宮)」は、
直線距離で「1.5km」程しか離れておらず、
名前も似ている。
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「吉備津神社」と「桃太郎伝説」との関係
「吉備津彦神社(岡山市北区一宮)」が、
日本の昔話「桃太郎」のベースとなったと言われるのは、
神社の名前となっている「吉備津彦命」のお話が関係しています。
当時の「吉備国」の「鬼ノ城(岡山県総社市)」に「温羅(うら)」と呼ばれる鬼が住みつき、
周辺の町を支配し始めたのが、始まりとなり、
天皇から鬼「温羅(うら)」の退治を命じられ、派遣されたのが、「吉備津彦命」。
その際に、
「桃太郎」のお話では、「猿」「犬」「キジ」の家来になっていますが、
「犬飼健(いぬかいたける)」
「留玉臣(とめたまおみ)」
「楽々森彦(ささもりひこ)」
と言う3人の家来を連れて来たと言われています。
「吉備津彦命」は、
現在の「吉備津神社」に本陣を構え、鬼の「温羅(うら)」と対決し、
しぶとい鬼の「温羅(うら)」を追い詰め、
退治することに成功したことから、
「吉備津彦命」を敬う人々によって語り継がれ、
祭られるようになり、現在の「吉備津彦神社」となっているそうです。
鬼の「温羅(うら)」との対決に登場する舞台には、
Address : 〒701-1341 岡山県岡山市北区吉備津931
Address : 〒719-1101 岡山県総社市
Address : 〒719-1103 岡山県総社市西阿曽
Address : 〒701-1211 岡山県岡山市北区一宮1043
Address : 〒701-1201 岡山県岡山市北区首部236
などがあるそうです。
矢が目に刺さり、
「キジ」に化けた鬼「温羅(うら)」を
「鷹」に化けた「吉備津彦命」が追いかけ、
逃げ切れない鬼「温羅(うら)」が、
「鯉」に化け、川に逃げ、
「吉備津彦命」が「鵜」に化け、
鬼「温羅(うら)」を捕えたとのこと。
その後、首を切られた鬼「温羅(うら)」は、
首をさらされたそうですが、
死んでも唸り声を上げ続けたと言われています。
頭を動物に食べさせ、骨になっても唸り声は続き、
「吉備津神社」で神事を行い、亡骸を封印したことで、
「唸り声」も収まり、鬼退治が完了したとのことです。
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