【福井県】
日本最大級の大仏「越前大仏」がある
個人が作った大寺院「清大寺」
「清大寺」とは
Address : 〒911-0811 福井県勝山市片瀬50−1−1
「清大寺」は、
「福井県勝山市」にある
大きな大仏「越前大仏」が
ある「寺院」。
「臨済宗 妙心寺派」の「寺院」で、
正式名称は、「大師山清大寺」。
「総工費380億円」をかけて、
「1987年(昭和62年)5月28日」に完成した。
「越前大仏」も同年「1987年(昭和62年)」には完成していたとのこと。
「清大寺」は、
「勝山市」の「名誉市民第一号」に選出された
「勝山出身」の「実業家」で、
「相互タクシー」の創業者である
「多田清(明治38年1905~平成3年1991)」さんが建立した。
「平成14年」の末に、「宗教法人」として認証された。
「清大寺」の広大な境内には、
立派な「伽藍」「大小多数の仏像」が配置されている。
「大仏殿」は、
「奈良県」の「東大寺」にある「大仏殿」を模して造られ、
本尊「越前大仏」を祀っている。
「五重塔」は、
日本で「最大規模」の「五重塔」。
「鉄筋コンクリート」で造られている。
「南大門」は、
「東大寺」の「南大門」を模して造られており、
その大きさは、「南大門」と同じ程度の規模。
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「清大寺」を建立した「多田清」さんとは
「清大寺」「越前大仏」を建立したのは、
「勝山市」の「名誉市民第一号」に選出された
「勝山出身」の「実業家」で、
「相互タクシー」の創業者
「多田清(明治38年1905~平成3年1991)」さん。
「多田清」さんは、
近くにある「勝山城博物館」という
日本で最大級の「城」と同規模の、
「城風建築物」も建設している。
歴史上に存在した「勝山城」とは、
場所も異なるが、
「勝山城」「勝山藩」の歴史を保存・展示するために、
個人の私財で建てた「建築物」であり、「博物館」。
「多田清(明治38年1905~平成3年1991)」さんは、
「相互タクシー」の創業者で、
「タクシー事業」を軸に、
莫大な資産を築いた人らしい。
「清大寺」「越前大仏」を建立したのは、
「お母さん」を供らうため。
と言われているが、
それだけではなさそう。
創建当時に、
「宗教法人」にしなかった理由が、
「勝山市」に
「固定資産税」等の「税金」を
納めたかった為。
と言われている。
もともとは、
「福井県勝山市」で、
父親「多田三右衛門」が、「庄屋」「酒造業」を行っていたそうだが、
「多田清」さんが、
「3歳」の頃に、家業が破綻したことで、
「大阪」へと移住。
「小学校」を卒業後に、
「雑穀問屋」などで働き始め、
のちに、
お得意先から「お店」を任されるまでになったとのこと。
しかし、「お店」は、「1年半あまり」で閉店したとのこと。
「兵役」を終え、
大阪で、
「タクシー運転手」となり、
「労働組合」を結成し、
労使交渉の末に「経営権」を獲得したことをきっかけに、
「経営者」としての道をスタートする。
戦時中には、
「石油不足」に備え、
「木炭車」の研究や、
「山林」などの購入、
生活基盤となる産業の株式購入
などを行うなど、
経営者の才覚を発揮したという。
その後も、
タクシー業界の基盤を築き、
「オイルショック」などには、
車両を小型化するなどの、経営の手腕を見せたという。
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